由良 環|Tamaki Yura
都市の余白 ―羽田を歩く―
羽田空港周辺を撮り始め1年弱。
撮影、現像、プリントという一連の作業を繰り返していく過程で自身の中に心境の変化が生まれた。
出来上がったプリントをじっと見つめていると、ふと世界の都市の或る場所の光景が頭をよぎった。それは1995年のベルリンの東側(旧東ベルリン)だ。
当時は東西ドイツの統一から僅か5,6年しか経過しておらずベルリンの東側はまさに〝荒野″と呼ぶに相応しい様相を呈していた。
だだっ広い平原の中にはベルリンフィルのくすんだ黄金の近代建築がポツンと建つのみ・・・そんな寂しい風景が広がっていた。
その風景が強烈に私の脳裏に焼き付いていたのだろうか。羽田の空港滑走路の裏手で撮影した一枚の写真を20年前のベルリンで見たあの光景に重ね合わせていた。
もうひとつは昨年訪れた中国の上海で見た長江河口近くの雄大な風景だ。
羽田を形作る重要な要素の一つである多摩川の河口付近をかなり俯瞰から撮った写真を見ていると、長江が思い浮かぶのだ。
当初私は羽田を“都市、東京”の隠喩として捉えていたが撮影を続けていくうちにそれだけではないらしいということに気が付き始める。
むしろ羽田は世界中の都市にあるような普遍性を持ち合わせているのではないかということだ。
それは大都市の空港特有の緊張感、圧倒的な冷静さと落ち着きを伴う一見して静かな佇まい、そして複雑な歴史的背景を背負っているという部分があげられる。
そしてもうひとつ、この土地が持っている〝特異さ″からも目が離せない。
羽田には境界線(キワ)の要素が随所に詰め込まれているという点だ。
それらは「地理的な境界線(海と陸)(国境)」「都市と自然の境界線」そして「時間軸の境界線」が存在する。
時間軸の境界線とは、そこだけが抜け落ちてしまい時代から取り残されてしまったような時間の流れが存在するという、不思議なズレた感覚だ。
撮影とプリントを繰り返す中で、私が羽田に魅かれていた訳が少しずつ紐解かれていくような気がしている。
2015年10月
1972 | 長野市生まれ |
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1996 | 東京造形大学建築専攻卒業 |
個展 | |
2013 | 「TOPOPHILIA」由良環×HealingArt / 北のれんが(帯広) |
2012 | 「TOPOPHILIA」ニコンサロン銀座 「TOPOPHILIA―都市の中へー」森岡書店 東京 |
2009 | 「Philosophical approach to Paris」森岡書店 東京 |
2007 | 「City Evolutions:Tokyo/Paris」コダックフォトサロン 東京 |
2006 | 「City Evolutions:Tokyo/Paris」EspaceJIPANGO (パリ) |
2004 | 「Urban Series:Tokyo」Atelier AE(パリ) |
2002 | 「ラフレシアを探して。」Gallery Q 東京 |
2001 | 「都市をめぐって」コダックフォトサロン 東京 |
1998 | 「時と空間の記憶#2」Gallery ZO 東京 |
1996 | 「時と空間の記憶」PHOTO SPACE KOYO東京 |
1994 | 「Real Time Story Telling」ルブリン芸術祭(ポーランド) |
グループ展 | |
2015 | 「けはひ」イ、なるもの…北へ / OGU MAG 東京 佐佐木實との二人展 |
2014 | 「NODE展」シリウス 東京 |
2013-14 | 「長野県生まれの写真家たち」代表作品展北野カルチュラルセンター/ポートレートギャラリー/ 飯田市美術博物館 |
2013 | 「日本写真協会受賞作品展」富士フィルムフォトサロン 東京 賞 日本写真協会賞新人賞受賞(「TOPOPHILIA」に対して) 写真集 |
2012 | 「TOPOPHILIA」コスモスインターナショナル |