村越としや|Toshiya Murakoshi
ぼくは出身地の福島を学生の頃から撮っている。震災と原発事故が起こったとき、今までと同じようには撮れなくなるんじゃないかと思った。何をどうしたらいいかもわからないまま、実家に帰ったのは震災から10日後だった。実家があるのは福島の中通りで、津波の被害はなく、地震で道や建物が壊れたけどほとんど変わらない風景だった。
でも見た目は変わらなくてもたくさんのことが変わってしまったことはわかっていた。犬の散歩をしながらカメラを持って歩き慣れた田んぼ道を歩いているとき、数年前にある人から言われた言葉を思い出していた。その人は「写真っていうのはこういうことだよ…」と言って、目の前にあったグラスを人差し指で四角く切り取った。よく意味がわからなかったので「はぁ…」と返事をした。
その人はいつものように「ふふっ」と笑って、甘い香りがする煙草をふかしていた。
今後、福島で写真を撮ることには、震災や原発という枕詞がついてしまう。
だからまず、被災地としての福島を撮ることを試した。だけど、しっくりこない。
それで自分はどうしたいんだ? そんな疑問が常に付きまとった。 簡単に答えが出る訳じゃない。それなら今まで通りに福島を自分のために撮ろうと思った。
目の前にあるどんなことでも、どんなものでも自分の目で見て写真に撮って考えること。
その行為全てが写真なんじゃないか。地元を撮るのに意味や理由なんていらないんじゃないか。自分の行為が「写真っていうのはこういうこと」かどうかわからない。でも福島を撮っていくことが写真なのだと信じて、ぼくは撮り続ける。
1980 | 福島県須賀川市生まれ |
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2003 | 日本写真芸術専門学校卒業 |
2009 | 東京・清澄白河に自主ギャラリー「TAP」を設立、現在も運営 |
2011 | 日本写真協会賞新人賞 |
写真集 | |
2013 | 「木立を抜けて」タカイシイギャラリー/TAP |
2012 | 「大きな石とオオカミ」plump W or M factory |
2011 | 「土の匂いと」TAP |
2010 | 「雪を見ていた」TAP |
2009 | 「浮雲」TAP |
2008 | 「草をふむ音」蒼穹舎 |
2006 | 「あめふり」蒼穹舎 |
写真展 | |
2014 | 「」 TAP 「April-May 2013」 TAP 「January-February 2013」 TAP |
2013 | 「March 2013」TAP 「January-February2013 」TAP 「木立を抜けて」タカイシイギャラリー フォトグラフィ/フィルム 「大きな石とオオカミ 4」 B GALLERY |
2012 | 「大きな石とオオカミ 3」 TAP 「大きな石とオオカミ 2」 TAP 「f 肆」 TAP 「草をふむ音」 福島空港 「ここから見える光は?」 TAP |
2011 | 「f 参」 TAP 「f 弍」 TAP 「f 壱」 nagune 「f 零」 count zero 「土の匂いと」 ギャラリー蒼穹舎 「FUKUSHIMA」 空蓮房 「あの日からずっと」 TAP |
2010 | 「雪を見ていた」 ギャラリー蒼穹舎 「村越としや写真展 4」 TAP 「村越としや写真展 3」 TAP 「村越としや写真展 2」 TAP 「月までの距離は?」 Plaza Gallery 「村越としや写真展 1」 TAP |
2009 | 「uncertain」 新宿ニコンサロン |
2008 | 「ちょっと、海へ」 nagune 「timelessness」 コニカミノルタプラザ |
2006 | 「あめふり」 Place M |
2005 | 「彼岸花」 Place M |
2004 | 「去るモノの論理」 Place M |
その他、国内外のグループ展やイベントに多数参加 |