リフレクション 写真展 / director 湊雅博

「風景の復習」 倉石信乃

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 風景について思考するとなぜ躓くのか。なぜある型をなぞるような言説遂行の道筋を択ぶことになるのか。そう自問するようになった。端的に言えば、もはや風景という言葉を捨てよと気がつけば自らに命じている。しかし、風景論を通じてなけなしの世界認識を育てられた経験が私にはあった。いまなお、風景写真に分類されるであろうあれこれを見て、好悪や快不快、さらには正否の判断へと、嫌々ながらにせよ習慣的な身振りもろとも思考は歩みを開始してしまう。こうして、とうが立った風景論はまたもやその都度反復される。
 ここで言っている風景論とは、風景批判の謂に他ならない。その一つは主に認識論的批判というべきものであった。

《風景がいったん成立すると、その起源は忘れさられる。それは、はじめから外的に存在する客観物のようにみえる。ところが、客観物なるものは、むしろ風景のなかで成立したのである。主観あるいは自己もまた同様である。主観(主体)・客観(客体)という認識論的な場は、「風景」において成立したのである。つまりはじめからあるのではなく、「風景」のなかで派生してきたのだ。》(柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社、1980年)

《それが風景であるかぎりにおいて、あらゆる風景は耐えがたく醜い。そして、風景に瞳を向けることは、おしなべて恥しい身振りなのである。あらゆる視線は、習得する視線にほかならないからだ。風景を讃美し風景を貶めるといった振舞いは、恥しさを何とか隠蔽せんとするものにのみ可能な貧しい延命の儀式にほかならない。》(蓮實重彦『表層批評宣言』筑摩書房、1983年)

 風景とは制度であり、ひとがつくりだしたものであるにも関わらず、その出自は忘却されつつ、いつのまにか自ずから成立していたかのように見せかけており、そうすることにより、あり得べき生の直接性に対してはつねに抑圧的に働く装置なのであった。そしてそのような風景の定義にまつわる語彙集の編纂と、風景=制度への批判的言及こそを、ほかならぬ当の風景自身は好んで止まない。だから風景を語り、批判を連ねるならば、ただ詭計に嵌まり込むばかりである。
 前に見た柄谷や蓮實に代表される、1970年代後半に現れたメタ=風景論的な言説の成果の下敷きには、松田政男たちが唱導した1970年前後の政治=美学的「風景論」の昂進があったはずだ。その渦中におけるプロタゴニストの一人であり、風景の詭計的プロセスを熟知するばかりか、風景との格闘を通じて自己解体=自己実現を遂げた写真家こそが、中平卓馬であった。たとえば中平は、同人誌『プロヴォーク』に掲載され、その後写真集『来たるべき言葉のために』にも収録された、地下鉄の階段に立つ二人の少女のイメージを引きながら、「風景の成立」と同時に、いかにその中にある事物が崩壊するかという過程について、当の自作に即して論じている。

《ある夜、あるいはある朝、ぼくは大急ぎで地下鉄の階段を昇ってゆく。と、出遇い頭に二人の少女と出遇う。少女たちはぼくの姿に一瞬たちすくむ。それはたしかに少女である。大きい方が姉であり、小さい方が妹である、それもたしかだ。しかし一度彼女たちを凝視しはじめたぼくの眼の中で彼女たちは急速に変身しはじめる。少女たちは姉らしさを、妹らしさを、少女らしさを急速に失ってゆく。ぼくは急いでしかもできるだけ大きい声で、少女たち、姉たち、妹たち、ビル、コンビナート、これは少女だと叫びはじめる。急がないとこれらの物は、ぼくの頭蓋の頂点から下方に向って身を被って垂れさがる一枚のビニール状のヴェイル(これがぼくの眼前のすべての事物を風景に環元【ママ】してしまう元凶なのはもはやあきらかだ。)に呑み込まれてしまう。》(中平卓馬「写真・1970 風景2」、『デザイン』第132号・1970年4月号)

 この一文と実作を通じて中平は、現実の風景をたんに説明したのではなく、風景の成立という不可視の出来事をあたかも高速度撮影によって解析しようとしており、いわば仮説的なモデルが提示されている。触知可能な現実あるいは「物自体」を遠ざける不可視の遮蔽幕たる「一枚のビニール状のヴェイル」、のちに「防水性の外皮」と言い換えられもする比喩の作動に注目しておこう。「元凶」としての「ヴェイル」によって、人と物の充実した確かさが崩壊し、指呼も意味を成さず名辞が空疎に響くばかりとなり、おしなべて均質で安定的な布置の平面に、生きとし生けるものが収まりかえる。急いで付言すれば、プロヴォーク的な「アレ・ブレ・ボケ」は、かかる布置を掻き乱す対抗与件であり、「植物図鑑」はそれを内破的に突き崩す狂気の振舞い、白日の明証性をパラドクシカルに超脱する身振りの所産であった。政治と美学の乖離について厳格な閾を設けつつ、その安易ではない交通路の敷設に絶えず腐心することが、最低限の倫理綱領であり得た時代を、中平は体現していた。

 

2

 風景とは何よりもまず政治的である。風景写真はその眼差しの使用を介して、眼前に拡がる土地を支配し、所有しようとする者の欲望を可視化する。パノラマは統治者の「視線の権力」を逐語訳的に表すフォーマットである、云々。かつてこの種の言明は啓蒙的であり得た。だが、制度批判としての風景論は他ならぬ風景という言葉を前提とする、トートロジカルな思考の円環から抜け出せない。敵対者が用意したアリーナで係争を繰り返すうちに、いつしか自らの言説も敵対者を模倣し始める。そうやっていつもパースペクティヴを備えた現況をつつがなく肯定する、自働的な装置そのものと似てしまうのだ。
 風景の政治性を制作局面において強調することは今日、いたずらな方法と概念形成の優位をもたらしている。風景写真の眼差しには、政治的言明を曖昧に湛えつつ返す刀で記録性や客体表出を首尾良く騙るため、ディタッチメントという美観が、あらかじめ実装されている。風景は方法の餌食になった。写真と日付・場所・出来事とのインデクシカルな照応が都合良く特権化されつつ、記録という機能のみが抜き出されて、可塑的な作物へと試供されるとき、当の写真的事実は徹底して貶められる。そうして史上、何巡目かの記録と審美性の結託が浮沈している。
 解きやすい謎掛けと埒もない種明かしに終始する現代美術の作品構造は、審美性を捨て去ったそぶりを見せても、売り絵の商いのためにこっそりそれを拾い上げてくることを要求する。着想芸術にふさわしい欺瞞と頽廃の蔓延において、己をもっともらしく見せかけるための「技巧」の所産として、ディタッチメントを質として帯同する風景写真は有能ぶりを発揮してきた。また、進んで工芸品にもなり得る風景写真は、現今の絵画と彫刻の過半と同様、技巧が自己目的化している。記録の僭称と工芸的仕上げ、そのいずれにも滑落することのない一定の表現上のテンションを維持することはしかし、意図しない衰弱を引き寄せもする。「写真自体」をプラトニックに志向するさなかに罹患する筋弛緩と衰弱こそが最大の頽廃を写真にもたらすかもしれない。どこかで逃げ道を作り、妥協点を探ることだ。手間をかけて「他」との接続手を自らの写真的身体の表面に殖やしておかなければ、写真は枯滅する。

 

3

 かえって場所と物語の二つへの拘泥は、表現上有用な蓄積を保証するかもしれない。特定の場所へと絶えず再帰する一途で頑なな運動がトポロジカルな想像力を、主体の衰弱とは違う位相において開示する。ティピカルな神話であれ物語であれ、またささやかな逸話であれ、説話論的な叙述形式を視触覚的に受けとめなければならない。その内側においてかろうじて、ナラティヴを食い破ろうとする読解が形を成し始める。可能態としての物語再考の核心に近づくためには、風景との対峙の次元の破れ目を拡げる凝視の強度も必要だし、写真的余白を汚染して止まない「言葉」との乱交を厭わぬ胆力も必要だ。無論、依然として写真にとってテクストは、自らを拉致し去る凶暴な他者を意味するから、風景写真の多くは写された土地の図解という、態のいい役割を配当されたところでほぼ自己満足を遂げてしまう。その役割がいかに巧妙に演じられたかを競うゲームが、写真の価値評定のアリーナでは飽かず繰り広げられてきた。倦む他ないゲーム結果に記入された「固有名」を綴るばかりの線形的時間をもって、今もわれわれは「写真史」などと呼び交わしている。そうであってもやはり、場所との戯れ、物語との戯れを介してようやく、「あるがまま」だの「物質性」だの「生々しさ」だのといった、深度を欠いた口碑の受け売り的な発動から離れるための、とば口に立つことができる。
 写真を抽象性へと押しやったまま、決まり切った口碑ばかりが群れ集う悪しき磁場。そこから踵を返して歩むためには、風景という枠組み自体を疑うだけでなく、別の言葉で置換するのも一案だ。同じ対象空間を見る際に、別の角度や解像度を導入してみることだ。そのために、民俗学的な、あるいは人文地理学的な踏査による「風景=知」は、あり得べき別の選択に比定できるものの例であった。
 私にとって宮本常一の撮った写真はほとんど畏怖すべきものだし、「カメラばあちゃん」増山たづ子が失われゆく故郷の村を記録した事績は比類ないようにも映る。彼らの仕事を「風景写真」と呼ぶのは陳腐さを免れないということだ。宮本の残した膨大な写真のフラグメントとキャプション、そして彼のテクストから洩れ出す地勢を文化に結びつける知の涼やかな形象は、達人の目の営みにふさわしい。だがしかし、誰もが宮本のように風景から地域の労働史を直観するわけにはいかないし、増山のように自伝的な悲劇から『異種の傑作』を生み出すわけにはいかない。われわれは「場所」だけにつくことも、「非場所」だけにつくことも許されてはいない。物語を支持するのも、物語批判を支持するのも、それだけでは充分な営みではない。難しくともそのいずれをも咀嚼・吟味して新しい文脈の形成を賭け、写真を絶えず発明し直さなければならない。

 

倉石信乃(くらいししの/写真批評・明治大学教授)

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