企画展「リフレクション」2014 開催します
企画展「リフレクション」2014 について情報掲載しました。
リフレクション2013 についてはこちらからご覧下さい。
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写真において私にできるのは杭だらけの土の上にまた杭を打つような運動だけだ。
それは勝手な解釈で地図を塗り替えているだけかもしれないが、
隣に流れている川の水の形が意識を画面から追い出すことの、
意志なく流れる川にこちらの時間が同化する否応のなさを大切にしたい。
風景の襞に向けて伸び縮みする視線、体の共鳴が残した画像が生を前進させる。
1968 | 東京都生まれ |
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阿佐ヶ谷美術専門学校卒 | |
個展 | |
2011 | 「煙野 _Kemurino」銀座 Nikon Salon |
グループ展 | |
2011 | 「フウケイ」UP FIELD GALLERY |
2010 | 「parapera show similis」CASHI 「ながめる まなざす」UP FIELD GALLERY |
2009 | 「parapera show」AISHO MIURA ARTS |
出版物 | |
2013 | 「CULVERT」PanoraMarket |
2010 | 「鎖線 _Enchained」アサヒカメラ 「眩砂 _Dizziness sand」New York Art Book Fair |
2009 | 「SPRAY CATS GARDEN」Tokyo Art Book Fair 「蝙蝠の姿勢 _Bat’s Posture」Tokyo Art Book Fair |
ぼくは出身地の福島を学生の頃から撮っている。震災と原発事故が起こったとき、今までと同じようには撮れなくなるんじゃないかと思った。何をどうしたらいいかもわからないまま、実家に帰ったのは震災から10日後だった。実家があるのは福島の中通りで、津波の被害はなく、地震で道や建物が壊れたけどほとんど変わらない風景だった。
でも見た目は変わらなくてもたくさんのことが変わってしまったことはわかっていた。犬の散歩をしながらカメラを持って歩き慣れた田んぼ道を歩いているとき、数年前にある人から言われた言葉を思い出していた。その人は「写真っていうのはこういうことだよ…」と言って、目の前にあったグラスを人差し指で四角く切り取った。よく意味がわからなかったので「はぁ…」と返事をした。
その人はいつものように「ふふっ」と笑って、甘い香りがする煙草をふかしていた。
今後、福島で写真を撮ることには、震災や原発という枕詞がついてしまう。
だからまず、被災地としての福島を撮ることを試した。だけど、しっくりこない。
それで自分はどうしたいんだ? そんな疑問が常に付きまとった。 簡単に答えが出る訳じゃない。それなら今まで通りに福島を自分のために撮ろうと思った。
目の前にあるどんなことでも、どんなものでも自分の目で見て写真に撮って考えること。
その行為全てが写真なんじゃないか。地元を撮るのに意味や理由なんていらないんじゃないか。自分の行為が「写真っていうのはこういうこと」かどうかわからない。でも福島を撮っていくことが写真なのだと信じて、ぼくは撮り続ける。
1980 | 福島県須賀川市生まれ |
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2003 | 日本写真芸術専門学校卒業 |
2009 | 東京・清澄白河に自主ギャラリー「TAP」を設立、現在も運営 |
2011 | 日本写真協会賞新人賞 |
写真集 | |
2013 | 「木立を抜けて」タカイシイギャラリー/TAP |
2012 | 「大きな石とオオカミ」plump W or M factory |
2011 | 「土の匂いと」TAP |
2010 | 「雪を見ていた」TAP |
2009 | 「浮雲」TAP |
2008 | 「草をふむ音」蒼穹舎 |
2006 | 「あめふり」蒼穹舎 |
写真展 | |
2014 | 「」 TAP 「April-May 2013」 TAP 「January-February 2013」 TAP |
2013 | 「March 2013」TAP 「January-February2013 」TAP 「木立を抜けて」タカイシイギャラリー フォトグラフィ/フィルム 「大きな石とオオカミ 4」 B GALLERY |
2012 | 「大きな石とオオカミ 3」 TAP 「大きな石とオオカミ 2」 TAP 「f 肆」 TAP 「草をふむ音」 福島空港 「ここから見える光は?」 TAP |
2011 | 「f 参」 TAP 「f 弍」 TAP 「f 壱」 nagune 「f 零」 count zero 「土の匂いと」 ギャラリー蒼穹舎 「FUKUSHIMA」 空蓮房 「あの日からずっと」 TAP |
2010 | 「雪を見ていた」 ギャラリー蒼穹舎 「村越としや写真展 4」 TAP 「村越としや写真展 3」 TAP 「村越としや写真展 2」 TAP 「月までの距離は?」 Plaza Gallery 「村越としや写真展 1」 TAP |
2009 | 「uncertain」 新宿ニコンサロン |
2008 | 「ちょっと、海へ」 nagune 「timelessness」 コニカミノルタプラザ |
2006 | 「あめふり」 Place M |
2005 | 「彼岸花」 Place M |
2004 | 「去るモノの論理」 Place M |
その他、国内外のグループ展やイベントに多数参加 |
人や事物、場所や景色、光や影が、明らかに現前している。
それらが同一でなく別個でもないという矛盾。
それは歌のようなものだ。
1977 | 愛知県生まれ |
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2003 | 東京綜合写真専門学校研究科卒 |
個展 | |
2013 | 「Shapes of Name」 Wallflower Photomedia Gallery 「太陽がひろう」 gallery 10:06 |
2012 | 「名前のかたち」 Gallery RAVEN |
2011 | 「名前のかたち」 gallery 10:06 「左手と右手」 Broiler Space |
2010 | 「真空の空」 Shonandai MY Gallery |
2008 | 「鏡はほほえむ」 トキ・アートスペース |
2006 | 「倍音の虹」 コニカミノルタプラザ |
2005 | 「重力の様式」 ニコンサロン |
受賞歴 | |
2007 | コニカミノルタフォトプレミオ大賞 |
「矛盾と余白の在り所/サイエンスとフィクションの在り所」
社会と向き合う時その事象がどのようにして成り立ったのかという事に興味がある。それを真実として自身に納得させるにはその場の事実と向かい合わなければいけない。加えるのであれば当事者でなければいけない。
自身と関係のない事象に立ち会う時に当事者になる事はよっぽどでなければかなわない。という事は結してその事象と私という自身は交わる事はないだろう。その事象に関わる術として私は写真を選んだ。それは結して交わる事が出来ないのであれば、ただその物事を平行線上で眺めつつづける為だ。
写真は一度画像を手に入れてしまえば反復して何度も見る事が出来る。しかし、それは動画であっても同じ事だ。そこには写真以上の情報を記録する事が出来る。明らかに写真は劣っていると思えてしまう。しかし、私はここで「真理は細部に宿る」というドイツの美術史家アビ・モーリッツ・ヴァールブルク氏の言葉を持ち出そうと思う。
細部というものが何なのかという解釈は十人十色かもしれない事を肯定的にとらえ、私の解釈として述べるのであれば、細部とはものの在処であり、それらの作用一つ一つなのではないだろうか。それらの要素を事細かに立ち止まり認識する事が可能なのが写真ではないだろうか。
そこに置いてあるものが、そこにいる人が、動いている何かが、その形自体が、何かの因果でそうなっているのであれば、その些細な細部の積み重ねが事象を引き起こしているのではないだろうか。
故に細部を知る事は事象を知る事であり、世界を知る事になるのではないだろうか。細部を知る事によって世界の輪郭に触れる事が可能なのが写真なのである。
写真群はとても曖昧で不確かのものだと思う。しかし、それら一枚の中にあるものは確かにそこにあったという事実だけは変え難い、そこに私がいたという事実も変え難い。しかしそれでも、曖昧だ。
そこに百の、万の言葉を加えようともそれは観者の真実にはなり得ず、事実にもならない。
それはただの私の真実の獲得しえた画像群であり、文章である。そして、それを私は写真作品だと言っている。
1984 | 北海道生まれ |
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2005 | 日本写真芸術専門学校二部卒業 |
現在は東京にてインドや河川、原発問題などを主に扱い活動をしている。 | |
個展 | |
2014 | 「心の温度」ニコンサロン/東京(5/20-5/26)大阪(7/31-8/6) |
2013 | 「UMIYAMAYUKINO」キチジョウジギャラリー 東京 |
2012 | 「多摩川をなぞる」 Place M 東京 「わすれて、わすれないで、」 TAPギャラリー 東京 |
2011 | 「奇跡の傍らで眠る」810ギャラリー 大阪 |
2010 | 「Suicide Spiral-tears and birds twittering-」ニコンサロン 東京/大阪 |
2009 | 「この流れの彼方-多摩川-」トーテムポールフォトギャラリー 東京 |
2007 | 「多摩川の陽々」 コニカミノルタプラザ 東京 |
グループ展 | |
2014 | 「Xishuangbanna Foto Festival 2014」西双版納(シーサンパナ)/中国 |
2013 | 「Madurai Photography Festival 2013」マドゥライ/インド |
2011 | 「Zine TEN-photography-」ハッテンギャラリー 大阪 「birds in the frame」ハッテンギャラリー 大阪 「第4回写真「1_WALL」展」ガーディアンガーデン 東京 |
白く輝くスズメバチの羽が眼の前を通り過ぎる。日差しを避ける影も無く、
羽音が聴こえる。もうすぐ日が沈む。太陽が姿を隠し、月が見える。月明かりの中、歩き続ける。人目を避け柔らかい地面を探す。鼻を突く匂いが口いっぱいに広がる。腐りはじめている。肉切り包丁で細かく刻み、ビニールでぐるぐる巻きにしている。匂いが漏れる。月が雲に隠れ、周囲の音も消える。穴を掘るのにもっとも相応しい場所はどこか。安全靴の靴底で地面を叩く。まだ堅い。最も相応しい場所はどこか。靴底で地面を叩きながら歩きつづける。月は見えない。肉の重みが肩にかかる。地面を叩く。掘るべき場所が見つからない。匂いが漏れる。最も相応しい場所はどこか。羽音が聴こえない。重い肉。広がる匂い。地面を叩く。月が無い。お前の中のオカマが登場する。
1968 | 千葉県生まれ |
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1990 | 大阪芸術大学芸術学部文芸学科中退 |
金村修ワークショップ参加 | |
個展 | |
2014-04 | 「Bista maniac」 The White |
2013-10 | 「Sandii bean」 ギャラリーQ |
2013-01 | 「Gacy」 ギャラリーQ |
2012-05 | 「Gradiva」 ギャラリーQ |
2011-05 | 「グレイマン・フィッシュ」 GLLAERY mestalla |
グループ展 | |
2012-10 | Repeat After Me vol.1 Group B The Gallery 東京 |
2011-02 | 「Public Image 1」神奈川県民ホール 横浜 |
2011-08 | 「Public Image 2」アートフォーラムあざみ野 横浜 「Public Image 3」アートフォーラムあざみ野 横浜 |
2011-11 | 「Public Image 4」アートフォーラムあざみ野 横浜 |
2011-12 | 「Public Image 5」アートフォーラムあざみ野 横浜 |
スライドショウ | |
2011-05 | 「antidrawing 1」横浜美術館レクチャーホール 横浜 |
2011-08 | 「antidrawing 2」横浜美術館レクチャーホール 横浜 |
【DIVISION-1】 Place M(3F) |
【DIVISION-2】 M2gallery(2F) |
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展示 5/13(火)-25(日) |
ABSTRACTION
金子泰久 森下大輔 横澤進一 |
INTERFERENCE
村越としや 山下隆博 |
ギャラリートーク (参加費¥500) |
2014年5月24日(土)16:00〜
出品作家 × 深川雅文(キュレーター) |
2014年5月17日(土)16:00〜
出品作家 × 藤村里見(東京都写真美術館学芸員) |
▶▶ 展覧会リーフレット (3.5MB) ◀◀ |
1
風景について思考するとなぜ躓くのか。なぜある型をなぞるような言説遂行の道筋を択ぶことになるのか。そう自問するようになった。端的に言えば、もはや風景という言葉を捨てよと気がつけば自らに命じている。しかし、風景論を通じてなけなしの世界認識を育てられた経験が私にはあった。いまなお、風景写真に分類されるであろうあれこれを見て、好悪や快不快、さらには正否の判断へと、嫌々ながらにせよ習慣的な身振りもろとも思考は歩みを開始してしまう。こうして、とうが立った風景論はまたもやその都度反復される。
ここで言っている風景論とは、風景批判の謂に他ならない。その一つは主に認識論的批判というべきものであった。
《風景がいったん成立すると、その起源は忘れさられる。それは、はじめから外的に存在する客観物のようにみえる。ところが、客観物なるものは、むしろ風景のなかで成立したのである。主観あるいは自己もまた同様である。主観(主体)・客観(客体)という認識論的な場は、「風景」において成立したのである。つまりはじめからあるのではなく、「風景」のなかで派生してきたのだ。》(柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社、1980年)
《それが風景であるかぎりにおいて、あらゆる風景は耐えがたく醜い。そして、風景に瞳を向けることは、おしなべて恥しい身振りなのである。あらゆる視線は、習得する視線にほかならないからだ。風景を讃美し風景を貶めるといった振舞いは、恥しさを何とか隠蔽せんとするものにのみ可能な貧しい延命の儀式にほかならない。》(蓮實重彦『表層批評宣言』筑摩書房、1983年)
風景とは制度であり、ひとがつくりだしたものであるにも関わらず、その出自は忘却されつつ、いつのまにか自ずから成立していたかのように見せかけており、そうすることにより、あり得べき生の直接性に対してはつねに抑圧的に働く装置なのであった。そしてそのような風景の定義にまつわる語彙集の編纂と、風景=制度への批判的言及こそを、ほかならぬ当の風景自身は好んで止まない。だから風景を語り、批判を連ねるならば、ただ詭計に嵌まり込むばかりである。
前に見た柄谷や蓮實に代表される、1970年代後半に現れたメタ=風景論的な言説の成果の下敷きには、松田政男たちが唱導した1970年前後の政治=美学的「風景論」の昂進があったはずだ。その渦中におけるプロタゴニストの一人であり、風景の詭計的プロセスを熟知するばかりか、風景との格闘を通じて自己解体=自己実現を遂げた写真家こそが、中平卓馬であった。たとえば中平は、同人誌『プロヴォーク』に掲載され、その後写真集『来たるべき言葉のために』にも収録された、地下鉄の階段に立つ二人の少女のイメージを引きながら、「風景の成立」と同時に、いかにその中にある事物が崩壊するかという過程について、当の自作に即して論じている。
《ある夜、あるいはある朝、ぼくは大急ぎで地下鉄の階段を昇ってゆく。と、出遇い頭に二人の少女と出遇う。少女たちはぼくの姿に一瞬たちすくむ。それはたしかに少女である。大きい方が姉であり、小さい方が妹である、それもたしかだ。しかし一度彼女たちを凝視しはじめたぼくの眼の中で彼女たちは急速に変身しはじめる。少女たちは姉らしさを、妹らしさを、少女らしさを急速に失ってゆく。ぼくは急いでしかもできるだけ大きい声で、少女たち、姉たち、妹たち、ビル、コンビナート、これは少女だと叫びはじめる。急がないとこれらの物は、ぼくの頭蓋の頂点から下方に向って身を被って垂れさがる一枚のビニール状のヴェイル(これがぼくの眼前のすべての事物を風景に環元【ママ】してしまう元凶なのはもはやあきらかだ。)に呑み込まれてしまう。》(中平卓馬「写真・1970 風景2」、『デザイン』第132号・1970年4月号)
この一文と実作を通じて中平は、現実の風景をたんに説明したのではなく、風景の成立という不可視の出来事をあたかも高速度撮影によって解析しようとしており、いわば仮説的なモデルが提示されている。触知可能な現実あるいは「物自体」を遠ざける不可視の遮蔽幕たる「一枚のビニール状のヴェイル」、のちに「防水性の外皮」と言い換えられもする比喩の作動に注目しておこう。「元凶」としての「ヴェイル」によって、人と物の充実した確かさが崩壊し、指呼も意味を成さず名辞が空疎に響くばかりとなり、おしなべて均質で安定的な布置の平面に、生きとし生けるものが収まりかえる。急いで付言すれば、プロヴォーク的な「アレ・ブレ・ボケ」は、かかる布置を掻き乱す対抗与件であり、「植物図鑑」はそれを内破的に突き崩す狂気の振舞い、白日の明証性をパラドクシカルに超脱する身振りの所産であった。政治と美学の乖離について厳格な閾を設けつつ、その安易ではない交通路の敷設に絶えず腐心することが、最低限の倫理綱領であり得た時代を、中平は体現していた。
2
風景とは何よりもまず政治的である。風景写真はその眼差しの使用を介して、眼前に拡がる土地を支配し、所有しようとする者の欲望を可視化する。パノラマは統治者の「視線の権力」を逐語訳的に表すフォーマットである、云々。かつてこの種の言明は啓蒙的であり得た。だが、制度批判としての風景論は他ならぬ風景という言葉を前提とする、トートロジカルな思考の円環から抜け出せない。敵対者が用意したアリーナで係争を繰り返すうちに、いつしか自らの言説も敵対者を模倣し始める。そうやっていつもパースペクティヴを備えた現況をつつがなく肯定する、自働的な装置そのものと似てしまうのだ。
風景の政治性を制作局面において強調することは今日、いたずらな方法と概念形成の優位をもたらしている。風景写真の眼差しには、政治的言明を曖昧に湛えつつ返す刀で記録性や客体表出を首尾良く騙るため、ディタッチメントという美観が、あらかじめ実装されている。風景は方法の餌食になった。写真と日付・場所・出来事とのインデクシカルな照応が都合良く特権化されつつ、記録という機能のみが抜き出されて、可塑的な作物へと試供されるとき、当の写真的事実は徹底して貶められる。そうして史上、何巡目かの記録と審美性の結託が浮沈している。
解きやすい謎掛けと埒もない種明かしに終始する現代美術の作品構造は、審美性を捨て去ったそぶりを見せても、売り絵の商いのためにこっそりそれを拾い上げてくることを要求する。着想芸術にふさわしい欺瞞と頽廃の蔓延において、己をもっともらしく見せかけるための「技巧」の所産として、ディタッチメントを質として帯同する風景写真は有能ぶりを発揮してきた。また、進んで工芸品にもなり得る風景写真は、現今の絵画と彫刻の過半と同様、技巧が自己目的化している。記録の僭称と工芸的仕上げ、そのいずれにも滑落することのない一定の表現上のテンションを維持することはしかし、意図しない衰弱を引き寄せもする。「写真自体」をプラトニックに志向するさなかに罹患する筋弛緩と衰弱こそが最大の頽廃を写真にもたらすかもしれない。どこかで逃げ道を作り、妥協点を探ることだ。手間をかけて「他」との接続手を自らの写真的身体の表面に殖やしておかなければ、写真は枯滅する。
3
かえって場所と物語の二つへの拘泥は、表現上有用な蓄積を保証するかもしれない。特定の場所へと絶えず再帰する一途で頑なな運動がトポロジカルな想像力を、主体の衰弱とは違う位相において開示する。ティピカルな神話であれ物語であれ、またささやかな逸話であれ、説話論的な叙述形式を視触覚的に受けとめなければならない。その内側においてかろうじて、ナラティヴを食い破ろうとする読解が形を成し始める。可能態としての物語再考の核心に近づくためには、風景との対峙の次元の破れ目を拡げる凝視の強度も必要だし、写真的余白を汚染して止まない「言葉」との乱交を厭わぬ胆力も必要だ。無論、依然として写真にとってテクストは、自らを拉致し去る凶暴な他者を意味するから、風景写真の多くは写された土地の図解という、態のいい役割を配当されたところでほぼ自己満足を遂げてしまう。その役割がいかに巧妙に演じられたかを競うゲームが、写真の価値評定のアリーナでは飽かず繰り広げられてきた。倦む他ないゲーム結果に記入された「固有名」を綴るばかりの線形的時間をもって、今もわれわれは「写真史」などと呼び交わしている。そうであってもやはり、場所との戯れ、物語との戯れを介してようやく、「あるがまま」だの「物質性」だの「生々しさ」だのといった、深度を欠いた口碑の受け売り的な発動から離れるための、とば口に立つことができる。
写真を抽象性へと押しやったまま、決まり切った口碑ばかりが群れ集う悪しき磁場。そこから踵を返して歩むためには、風景という枠組み自体を疑うだけでなく、別の言葉で置換するのも一案だ。同じ対象空間を見る際に、別の角度や解像度を導入してみることだ。そのために、民俗学的な、あるいは人文地理学的な踏査による「風景=知」は、あり得べき別の選択に比定できるものの例であった。
私にとって宮本常一の撮った写真はほとんど畏怖すべきものだし、「カメラばあちゃん」増山たづ子が失われゆく故郷の村を記録した事績は比類ないようにも映る。彼らの仕事を「風景写真」と呼ぶのは陳腐さを免れないということだ。宮本の残した膨大な写真のフラグメントとキャプション、そして彼のテクストから洩れ出す地勢を文化に結びつける知の涼やかな形象は、達人の目の営みにふさわしい。だがしかし、誰もが宮本のように風景から地域の労働史を直観するわけにはいかないし、増山のように自伝的な悲劇から『異種の傑作』を生み出すわけにはいかない。われわれは「場所」だけにつくことも、「非場所」だけにつくことも許されてはいない。物語を支持するのも、物語批判を支持するのも、それだけでは充分な営みではない。難しくともそのいずれをも咀嚼・吟味して新しい文脈の形成を賭け、写真を絶えず発明し直さなければならない。
倉石信乃(くらいししの/写真批評・明治大学教授)
今回で7回目の開催となります「風景に係わる写真家のあらたな表現と可能性に向けて」の写真展が5月13日よりPlace M & M2 galleryで開催されます。
この展は自己と世界との境界を形づくる方法論としての風景にたち向かう写真が、お互いに交錯させて生じる何ものかを表出させることで、作家が直面している問題系を明らかにする場として存在します。
今回の展示では各作家が対象との関係をどのように成り立たせて作品を造り出しているかを考察するべく展示室別にキーワードを設定しました。
DIVISION-1 / Abstraction
DIVISION-2 / Interference
参加する多彩な作家達が、自らの風景に立ち向かうまなざしの意味を問い続けることで、あらたな表現を生み出し、風景に係わる写真の現在と可能性を表現する展示空間を創りだします。