企画展「リフレクション」2015 開催します
企画展「リフレクション」2015 について情報掲載しました。
企画展「リフレクション」2015 について情報掲載しました。
水くぐり
見聞や地勢、現象を観察しながら場所のサンプルを抽出する意識の領域。直感的に過去現在未来の差が曖昧になり、対峙する場所や風景から他の時代を想起する無意識の領域。私の写真はこの間を行き交っている。
現在の撮影エリア、静岡県内の瀬戸川流域は縄文時代から人が定住し現在まで変動を繰り返してきた。鎌倉期以前に決壊した名残が住宅地に現存し、古い瀬「瀬古(せこ)」として地名に。上流域では文献や逸話に水害の記録や教訓が残されている。
川の怖さを知りながらもなぜ寄り添うのか。人間の好奇心に興味があり、際をなぞるように川原と隣接する集落に足を運んでいった。直視できる産業や生活様式、伏流水といった視えない川の力が植物や人に影響し、風景を介して写真へ投影されていく。培われた野菜を食し、住民の記憶を聞き取りながら撮影する日々を過ごしていると自身もその力の一部になっていく気がした。
そんな折に砂利が蓄積し小山になった中洲と出会った。木々やツタに覆われ、自生した花々が咲く砂利山。頂上はぽっかりと空いていて、なにも無いのに神々しい。熊野や伊勢、三輪山など関西の自然崇拝地と同じ神聖なものが降りてくる不思議な場所であった。その時、名もなき中洲から川へ畏敬の念を抱いた先人の目と重なった。後日、近くの集落で行われる祭事を知るのだが、天井に結界をつくって神を呼ぶ「神降ろし」という所作があるので驚いた。
地勢を体現することは、土地で暮らす人々の生気を満たしていくだろう。
1987 | 静岡県生まれ 静岡在住 |
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2011 | 東京造形大学造形学部デザイン学科写真専攻卒業 三重のローカル誌「NAGI」の編集に携わる |
個展 | |
2015 | 「三重ワンダーランド」volvox 三重「三重ワンダーランド」M2gallery 東京 |
2012 | 「suraito coma」 三重 |
2011 | 「アリアドネの糸」トーテムポールフォトギャラリー 東京 |
グループ展 | |
2015 | 「STEP OUT! New Japanese Photographers IMA CONCEPT STORE 東京 |
2013 | 「影像2013」世田谷美術館区民ギャラリー 東京 |
2012 | 「suraito’GRバトン写真家リレー/リコーイメージングスクエア銀座 東京 |
写真集 | |
2015 | 「三重ワンダーランド」月兎舎 |
2013 | 「糸遊そそぎ」私家本 |
リフレクションの作品について
今回の作品はリフレクション展に参加する作家の撮影場所(羽田、藤枝、新潟)へ行き、その場所を撮り作品化していく。
それぞれの写真家はフィルムで一枚一枚を丁寧に撮っていき、また場所にも強い思い入れを持っているように感じた。
それとは真逆のデジタルのラフな撮影方法と、場所にもこだわりのない私の制作の姿勢、それを利用して彼女たちの撮影する場所を新たな視点から撮影したいと考えた。
彼女たちに寄生するように撮影をし、鑑賞者側に彼女たちの写真のこちら側—撮影者を見つめるようにーを感じてもらいたい。
また、鑑賞者をそれぞれの作家の撮影する場所(羽田、藤枝、新潟)が渾然一体になるような4つめの場所とも言える3つの場所が交わったどこかへ連れて行けるような展示にしたいと考えている。
1984 | 宮城県生まれ |
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2007 | 東北芸術工科大学 デザイン工学部情報デザイン学科 映像コース(現映像学科)卒業 |
個展 | |
2015 | 「不在の痕」 仙台アーティストランスペースSARP 宮城 |
2014 | 「染みだす閾」 仙台アーティストランスペースSARP 宮城 |
2013 | 「空は青くてもう夕方のようだ」 仙台アーティストランスペースSARP 宮城 |
2007 | 「ささやかに吐かれる息」 ギャラリーエス 東京 |
2006 | 「明るく暮れる淡い記し」 やまぎんギャラリー 山形 |
グループ展 | |
2012 | 「トーキョーワンダーウォール公募2012」 東京都現代美術館 |
都市の余白 ―羽田を歩く―
羽田空港周辺を撮り始め1年弱。
撮影、現像、プリントという一連の作業を繰り返していく過程で自身の中に心境の変化が生まれた。
出来上がったプリントをじっと見つめていると、ふと世界の都市の或る場所の光景が頭をよぎった。それは1995年のベルリンの東側(旧東ベルリン)だ。
当時は東西ドイツの統一から僅か5,6年しか経過しておらずベルリンの東側はまさに〝荒野″と呼ぶに相応しい様相を呈していた。
だだっ広い平原の中にはベルリンフィルのくすんだ黄金の近代建築がポツンと建つのみ・・・そんな寂しい風景が広がっていた。
その風景が強烈に私の脳裏に焼き付いていたのだろうか。羽田の空港滑走路の裏手で撮影した一枚の写真を20年前のベルリンで見たあの光景に重ね合わせていた。
もうひとつは昨年訪れた中国の上海で見た長江河口近くの雄大な風景だ。
羽田を形作る重要な要素の一つである多摩川の河口付近をかなり俯瞰から撮った写真を見ていると、長江が思い浮かぶのだ。
当初私は羽田を“都市、東京”の隠喩として捉えていたが撮影を続けていくうちにそれだけではないらしいということに気が付き始める。
むしろ羽田は世界中の都市にあるような普遍性を持ち合わせているのではないかということだ。
それは大都市の空港特有の緊張感、圧倒的な冷静さと落ち着きを伴う一見して静かな佇まい、そして複雑な歴史的背景を背負っているという部分があげられる。
そしてもうひとつ、この土地が持っている〝特異さ″からも目が離せない。
羽田には境界線(キワ)の要素が随所に詰め込まれているという点だ。
それらは「地理的な境界線(海と陸)(国境)」「都市と自然の境界線」そして「時間軸の境界線」が存在する。
時間軸の境界線とは、そこだけが抜け落ちてしまい時代から取り残されてしまったような時間の流れが存在するという、不思議なズレた感覚だ。
撮影とプリントを繰り返す中で、私が羽田に魅かれていた訳が少しずつ紐解かれていくような気がしている。
2015年10月
1972 | 長野市生まれ |
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1996 | 東京造形大学建築専攻卒業 |
個展 | |
2013 | 「TOPOPHILIA」由良環×HealingArt / 北のれんが(帯広) |
2012 | 「TOPOPHILIA」ニコンサロン銀座 「TOPOPHILIA―都市の中へー」森岡書店 東京 |
2009 | 「Philosophical approach to Paris」森岡書店 東京 |
2007 | 「City Evolutions:Tokyo/Paris」コダックフォトサロン 東京 |
2006 | 「City Evolutions:Tokyo/Paris」EspaceJIPANGO (パリ) |
2004 | 「Urban Series:Tokyo」Atelier AE(パリ) |
2002 | 「ラフレシアを探して。」Gallery Q 東京 |
2001 | 「都市をめぐって」コダックフォトサロン 東京 |
1998 | 「時と空間の記憶#2」Gallery ZO 東京 |
1996 | 「時と空間の記憶」PHOTO SPACE KOYO東京 |
1994 | 「Real Time Story Telling」ルブリン芸術祭(ポーランド) |
グループ展 | |
2015 | 「けはひ」イ、なるもの…北へ / OGU MAG 東京 佐佐木實との二人展 |
2014 | 「NODE展」シリウス 東京 |
2013-14 | 「長野県生まれの写真家たち」代表作品展北野カルチュラルセンター/ポートレートギャラリー/ 飯田市美術博物館 |
2013 | 「日本写真協会受賞作品展」富士フィルムフォトサロン 東京 賞 日本写真協会賞新人賞受賞(「TOPOPHILIA」に対して) 写真集 |
2012 | 「TOPOPHILIA」コスモスインターナショナル |
都市において、都市とともに
新潟の街を日本海に向かって歩く。海岸線に近づくにつれて、急な上り坂が現れる。信濃川と阿賀野川、 そして日本海によって、1700 年ほど前に形成された砂丘である。時間とともに安定したこの砂丘の上には、規格化された建築資材を用いて、とりたてて珍しくもないはずの工法で建てられた戸建てやマンションが建ち並んでいる。半世紀ほどの時を経た、新しくも古くもない住宅地だ。
長く住んだ東京西部を離れ、新潟砂丘の上に暮らして2 年が経った。私の目の前にあるのは、東京に住んでいた時に目にしていたのと、さほど変わらない「どこにでもある」風景なのかもしれない。しかし、建物や道幅のわずかなスケールの違いや、潮風や厳しい冬の風雨が建物に与える質感、 舗装をめくれば忽ち現れて知らぬ間に室内にまで入り込む砂、めまぐるしい天候の変化とともにある日本海側の光、家々の向こうに常に身近に押し寄せている海と川の気配が、私の身振りを変えてゆく。「風土」と呼ぶには躊躇を覚える、けれども現代の都市にも確実に存在する固有の姿に背を押されて、その固有性を支える個別の光や色や空間のありさまに、不用意かもしれなくても手を伸ばす。
水とともに流動し続け、今なお刻々と姿を変えようとするこの土地で、ありふれた手段を用いて、目の前にある日常とほとんど何ひとつ変わらないかのように平明に、新たな都市を夢見る作法を探している。常に目の前にあり、なんの秘密もなくあっけなく開示されているものと、格別の注目を浴びることのないひとつひとつの行動が問題である。東京で写真を撮りながら見つけた問題を追いながら、変容に向けた探査の具体的な形が、新潟において、新潟とともに流動してゆくことを、私は今、喜びとともに味わっている。
1981 | 埼玉県生まれ |
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2010〜2011 | 写真展示スペースBroiler Space(東京・桜上水)を小松浩子と共に運営 |
現在 | 新潟在住、新潟大学人文学部助教 |
個展 | |
2015 | 「都市と都市:新潟」 新潟絵屋 新潟 |
2014 | 「The City and The City:Tokyo」 新潟絵屋 新潟 |
2013 | 「INVENTION」 Gallery 10:06 大阪 |
2011 | 「bypass」 Toki Art Space 東京 |
2010 | 「OGU MAG企画展White Frame vol.3 Chikako Enomoto “Reflections”」 OGU MAG 東京 |
2009 | 「AX」 Musee F 東京 |
2007 | 「Absolute Reasons」 表参道画廊 東京 |
2005 | 「DAEDALUS」 Musee F 東京 | グループ展 |
2014 | 「Mystery Train あやしうこそもの狂ほしけれ」 表参道画廊 東京 |
2013 | 「リフレクション」 Place M 東京 |
2011 | 「新潟発・日本の発見 映像と記憶のアルケオロジー 1865-2011」Maison du Japon パリ |
2010-2011 | 「Monthly Exhibition #01-10」 Broiler Space 東京*小松浩子との連続二人展 |
HP:Chikako Enomoto Web DAEDALUS https://sites.google.com/site/chikakoenomoto/
2015年12月8日(火)〜12月19日(土) 12:00〜19:00 会期中無休
[ギャラリートーク]
12月12日(土) 16:00〜 (参加費 ¥500) 大日方欣一(フォトアーキビスト[写真・映像研究])+出品作家
[オープニング・レセプション]
12月8日(火) 18:00〜20:00
普段は別個に活動する四人の写真家たち。その各々が風景に向かう態勢を協働的に生成させること。写真家たちが世界から切り出してきた一片一片の写真を、風景を、展示空間で緩やかに組織し、ひとつの磁場を拓くこと。そのようにして写真の本性と可能性とを問い、写真家という人間をみつめ続けること。それがディレクター、湊雅博がこの企画展示に賭けるものなのだろう。写真家たちは、その企図を自己の態勢に浸透させ、また新たに世界に向かってシャッターを切った。リフレクション展を支えているのは、このような人々の愚直さであって、活きたまっすぐな活動は愚直にならざるを得ない。このグループ展は、単なる寄せ集め興行ではなく、求めるべきを求める試みとして立っていると観える。
では、なぜ、〈風景〉か。風景だったのか。それは、湊のなかにも、これまで織り成されてきた風景と写真とを巡る言説のうちにも、風景の問題系を辿ることは写真の本質と可能性の探究へと連なるという直覚や思考、論理があるからに違いない。そして、人間の探究へも。こう考えるのは、風景という概念の成り立ちによれば、全く正当なことだ。2013年のリフレクション展に寄せた拙稿に記したように、写真は究極的には私たちの外界たる風景を映し出すもので、人間は皆、外界=風景に向かう「未生の写真家」なのだから。
ただ、この〈風景〉なる物言いには気をつけねばなるまい。加えて、風景を巡る思考はもはや飽和し、手詰まり状態とも思われる。そして、何よりも重要なことには、風景の語が描き出すとされる概念は、決定的に何事かを取り逃がしてしまうようなのだ(風景の袋小路については、倉石信乃氏が昨年の展示のテクストに、鋭敏な手つきで書きつけている)。
風景の概念は、西洋近代における主客分離の思潮のなかで成立したと言われる。人間主体という概念が誕生したのと呼応して、その前に立てられる客体として、風景概念が誕生したのだ、と。さらに風景は、そこから切り分けられた主体がそこに多様な意味や美的価値、イデオロギーを配置した形象、文化的で政治的な織物である、と。主客分離の志向、その先での主体から客体への一方向性の強調は、純粋認識主体たる人間が純粋かつ客観的に計量化する物理世界を思考する科学を発達させ、テクノロジー開発を推進した。私たちはその恩恵に預かっているけれど、人間を純粋認識主体と、風景を純粋客体と切り分ける分離が行き過ぎると、私たちの生きられる経験は掴み損ね続けられるだろう。だから、かつての拙稿のなかで私は、人間と風景とを分かつ分割線の方ではなく、人間が存在しなければ風景は存在せず、風景という外界、世界が存在しなければ人間は存在しないという両者の相補性、双子のありようをこそ強調し、それを写真の経験のうえに描き出そうとしたのだ。だが、これも不十分。風景を巡る思考の躓きを越え、抽象的思弁に囲い込い込まれる世界と写真とを生きられた経験に復帰させるには、世界は人間も含めてただひとつのものであること(アンリ・ベルクソンの言う、「イマージュの総体」)から掘り進めねばならないだろう。
物質の科学が明らかにし、私たちも自身の経験から疑うことがないように、無論、世界はそれ自体として、私たちの眼に視えるように生彩ある姿で在る(しかし、西洋哲学の究極化した思弁は、世界のありようを〈主体・客体・表象〉の三項関係に分割還元してその関係を説明しようとし、ただひとつの流動し持続する世界それ自体を取り逃がしてきた)。知覚像は、単に脳内物質が生み出す幻影や作用ではなかろう。さらに、この世界は物質からなるが、そこには他のものと共に、私たち生命体の身体という特権的物質も抱き込んでいる。「特権的」というのは、それは、他の物質とは異なって知覚を行い、それが知覚する像は私たちの身体が僅かに変化すると、その全部がことごとく変転するような中心の位置を占めていて、他のすべての像がそれに従って規定されるからそう言うのだ。「あたかも万華鏡を回転したように、その運動の各々に応じて全てが変わる」(ベルクソン(田島節夫訳)『物質と記憶』)。身体をもった人間にとって、視覚は、視覚像たる風景は、人間と無縁に超然とあるのではなく、知覚する人間の身体と相関的に在るのだ。これは切れ目ないただひとつの世界で起こっていることで、このような視覚像を、主客分離を要件とする「風景とそのまま呼べないというなら、「新しい風景」とでも何とでも呼べばいいが、正確にはそれは、〈リフレクションとしての世界〉と言うべきものだ。事物は、それに当たる光を遮断し反射することで、初めて可視化される。それがリフレクション反射する光の総体において、モノは知覚され捉えられる。そのようなモノの集合である世界とは、私たちにとって、充満する光のなかでは写真が写らないのと同じく、潜在性の次元に実在するが、光を遮断し縮減してなされるリフレクションによって初めて知覚され掴まえられ生きられる。光の痕跡たる写真は、このような世界のありようを自らの上に照らし出す。写真とは、潜在する世界がさまざまな度合いで現実化され知覚された一片のイマージュなのだ。リフレクションを知覚するのは私たちの身体であり、リフレクションを通じて私たちは世界に、写真に出会う。
世界はただひとつの切れ目なきものとしてあり、絶えず流動、変化し持続している。風景と名指され区切られるものが不動の客体と思われても、当の風景の形象を結ばせ知覚させる無数の光は四方に散乱し絶えず運動しているのであって、その光の波動を、それが放つ多様なニュアンスを圧縮することで私たちは色彩を、ものの姿を固定化し、運動に静止を仮構して視ている。視覚とは、ベルクソンが言うように、物質を成す質料(究極的かつ端的に言えば光)を縮減することで遂行されるシステム、量子力学が詳らかにするように粒子でもあり波動でもある光を、減らすことで視えるようにする働きのことだ。例えばモノを、その色を知覚するのは、赤、橙、黄、緑、青、紫と無数の色彩に分散する光を縮減し、その波の振動を圧縮し、ただひとつの色を固定的に引き出す身体に応じた知覚の働きに依る。この縮減をおこなう人間の自然な知覚は、意識的であれ無意識的であれ、行動の有用性を尺度になされる。熱を入れ授業する教師は、天井の染みでも机の傷でもなく、学生の表情やノートをとる手元を観る。行動の有用性は、人間の欲望や意志、快不快の感覚といったものの総体として形づくられ、縮減の尺度を成す。他方、写真映像は原理上、身体を欠いたメカニカルで無差別的、等価に光量を縮減=知覚するカメラという機械の知覚に依っているから、カメラは人間の知覚を超えて視、それが写真に写し出される。写真を撮影するとは、機械の知覚に写真家が自らの知覚を接続して為される一連の営為であって、写真家という人間は、写真の本性を飼いならしも殺しもせず、能動よりも受動に身体を開き、人間の視覚の縮減を超えて潜在性の次元を垣間みるために写真の知覚を賦活していく。
愚直な写真家たちは、風景の客体化と固定化の力学の先で、こうした写真の秘密を感受して仕事をする。東京の住宅地を撮影してきた榎本千賀子は、新潟での新たな暮らしのなかで、風の運動が造形する砂地にカメラを向け、絶えず流動する世界の位相を一層明瞭に前景化させた。砂に刻まれる風紋、木々のなびく多様なベクトルをとらえた。カメラを持つ榎本の知覚=写真は、さらには人工のコンクリートやアスファルトにおいてさえ、そのひび割れや継ぎ目、諸々の傾きを捉えて、行動の有用性がその堅固さや不動性を視るところを突破し、潜勢する運動の力線を辿る。さまざまなニュアンスを放つ無数のリフレクションは、ひとつのものとして生きられる世界に潜在する数多の力線を描いている。
田山湖雪は、潜在態から現実態へと向かう力線が縮減を超えて観られ、実際に生きられ活用された土地を探った。位置移動した川の、視えないが土地に現存する潜在的運動が、現在の景観に見出されてゆく。伏流や扇状地を成す川の力線を賦活し、人間は茶やシイタケを栽培する場を拓き、川を材木を運ぶ通路とした。川との関わりに応じて展開される暮らしに分け入る写真。自然と人工の力線の質的差異、際(きわ)への眼差し。民俗学も思わせるが、何よりも潜在性が現実化される運動を感受する感度がこの写真家の仕事を生み落している。
写真は、それが映し出すものに記号を読み取らせるけれど、同時に記号に縮約されない質料、意味の手前で弛緩し流動する世界の質料=光の運動を受け取る感光板だ。由良環の今回の写真は、従来の彼女の作品のように都市の人工建造物という記号に自らを差し出しながら、しかしその実黒く濡れたただひとつの世界の弛緩した皮膚となって呼吸し、波打ってもいる。世界の大都市に通底する普遍の形象を探り現代生活を読み解く理知的なこの人の眼差しは、慌ただしく行き交う交通の拠点、羽田空港に来て、喧騒のただなかに静寂を聴くように、金網越しの視線で無機的空間に意識の流れを浸透させ、羽田に人工的都市生活の記号を纏わせつつも滑走路際の水辺を辿って漁村でもあった潜在して現存する土地固有の古層を浮き上がらせる。
人間の行動がつくりだす、いま現在に結実し現実化された層と、過去に沈み込み堆積して潜在する記憶の層。緊密な意味記号で読み解かれる位相と、有用性と無縁に弛緩する質料の位相。写真家たちは、潜在性と現実化の二極を巡る世界の二重のありようをそれぞれに顕現させるが、阿部明子は重層化による人工的操作で世界に一層の深さを仮構し、それを感受する心的厚みを増幅させ、デジタル画像に厚みを与えた。阿部は今回の展示のために三人の協働者のフィールドへ赴いて撮影し、自他の知覚と記憶とを共鳴させ、さらには観者のそれらを手招きしようとする。その写真は物質と記憶の世界の二つの系を抱き込むかのようだ。〈既視感〉と重ねられ錯乱を強める映像の層、ニュアンスを付す色彩は、この写真家のものでありながら、写真家たちの別個に伸びる生の力線を共振させ、また緩やかに束ねている。
固定化され静止する現在を、原初に実在する潜在性の動性に送り返すこと。風景を、原初のリフレクションに送り返すこと。そこに、創造的営為が拓かれている。
日高 優(立教大学准教授/写真批評)
今年で3回目となるリフレクション展は表参道画廊+MUSEE Fに会場を移して、12月8日より19日まで開催することになりました。
女性写真家4名が出品する今回のリフレクションの展示は「風景に係わる写真表現の新たな方法と可能性」を希求する作家の生み出す作品が(風景として認識する場所とその考察について)という展示キーワードを反映させ表象するような重層的に交差する展示空間を、二面のギャラリースペースを使って出現させます。
表参道画廊+MUSEE F
150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウムB02
tel/fax: 03-5775-2469 mail: info@omotesando-garo.com
2013年より開催している企画展「リフレクション」は、私がディレクターとして2007年から2011年まで継続してきました、企画展「風景に係わる写真の表現について」の考え方を踏まえて、新たな方向性を導く為に開催しています。
タイトルの「リフレクション」とは、選ばれた作家が集まり何度もやり取りを行いながら展示を作っていく作家同士のリフレクションであり、また展示された作品同士や各展示室が各々反映しあって、新たなイメージを表象させる事を意味しています。それゆえにカメラや視覚の隠喩とも言えると思います。
Director 湊 雅博
info@masahirominato.com
http://www.masahirominato.com