2013年2月


展覧会スケジュール・ギャラリートーク

場所/日程 【DIVISION-1】
2013年3月26日(火)〜 4月7日(日)
【DIVISION-2】
2013年4月9日(火)〜 4月21日(日)
Place M
(3F)
① Thing/事物のありようと成り立ちについて
出品作家:大谷佳相馬泰箱山直子

ギャラリートーク 3月30日(土)17:00〜18:30
ナビゲーター:調文明(写真批評/研究)

① View/視線のありようについて
出品作家:小平雅尋福山えみ船木菜穂子

ギャラリートーク 4月13日(土)17:00〜18:30
ナビゲーター:上條桂子(編集者)

M2gallery
(2F)
②Composition/写真における構図の意味について
出品作家:池田葉子山方伸

ギャラリートーク 4月6日(土)15:00〜16:30
ナビゲーター:小林美香(東京国立近代美術館客員研究員)

②Place/作家と場所の関係性について
出品作家:榎本千賀子坂本政十賜

ギャラリートーク 4月20日(土)17:00〜18:30
ナビゲーター:山内明美(歴史社会学/東北研究)

▶▶ 展覧会リーフレット (3MB) ◀◀

企画展開催について

今回Place Mで開催する企画展は、私がディレクターとしてアップフィールドギャラリーで継続して開催してきた「風景に係わる写真の新たな表現にむけて」の企画展の考え方を踏まえて、新たな方向性を導く為に開催することにしました。出品作家の人選については、当然それぞれの作品の表現形態や強度を重視しますが、この企画展の方法論が長期にわたる協同性を有した作業ですので、関係における人間性も重要な要素と考えています。

実際の展の創出方法は出品作家が主体となって語り合い、お互いの作品を意識し合いながら、相互作用のもとに展の構造を考えて、展の全体性と各自の展示方法を創り上げていく協同性を大事にした独自な企画展です。
作家同士が緩やかな関係性を持ちながら、作家同士の相互作用で展を創り上げていく仕組みが、新しい形の運動体として表出することで、今日の写真状況に対して作用が生じるような強度を持った企画展を創りだしたいと思います。

その為には各作家の作品が、作家と写真のなかで閉じているのではなく、観る人それぞれの意識に、何かを投げ込んで行くような強度のある写真を提示していく事が必要です。また同時に自己作品と他者の作品との同一性と差異を認識することで、展示空間に於ける作品同士の緊張感をつくりだす事ができると思います。

【DIVISION-2】2013年4月9日(火) 〜 4月21日(日)

① View/視線のありようについて
kodaira1-thumb fukuyama1-thumb funaki1-thumb
②Place/作家と場所の関係性について
enomoto1-thumb sakamoto1-thumb

【DIVISION-1】2013年3月26日(火) 〜 4月7日(日)

①Thing/事物のありようと成り立ちについて
otani1-thumb soma1-thumb hakoyama1-thumb
②Composition/写真における構図の意味について
ikeda1-thumb yamagata1-thumb

出品作家のつぶやき

このコーナーでは出品作家によるつぶやきなどを掲載してまいります。

坂本政十賜|Masatoshi Sakamoto

東北

東北地方の家を2009年から撮影しています。
3年半ほどが経過しましたが、この期間、震災という大きな出来事があり、また自分自身の身の上や生活にも様々な変化が起きました。何かが流れ始めているような、そんな3年半でした。

はじめは家を見て回るだけだった東北行も、回を重ねるにつれ、その目的や意味も重層的になってきました。
また震災以降、それまでぼやけていた自分の中のある部分へのフォーカスが、はっきりと合ってきた、そんな感覚を持っていますが、そういった感覚を呼び覚ました震災が、東北行の重層性をより加速させた事は間違いがありません。

今回展示する写真は、最初に訪れた2009年に撮影した青森地方の家です。写真をご覧いただき、東北地方の家の魅力をもし感じられたなら、それは一体何なのか。その事をご覧になった皆さんが、各々の身体において考えられる経験と成り得た時に、この作品が意味あるものとして成立するのではないかと考えています。

人間が、自らが思考し、行動する存在となることの重要さと、またその難しさを痛感させられる生を生きる、私からの問いかけでもあります。

2013年3月5日 坂本政十賜

 

1965 東京生まれ
1989 多摩美術大学デザイン科グラフィック専攻 卒業
個展
2009 「青森の家」ジュンク堂新宿店カフェ
2007 「空間=風景」プロジェット
「FLOATING」西瓜糖
2000 「TOKYO SNAP」 ギャラリーライトワークス
(LIGHT WORKS EXHIBITIONS 4 天野太郎企画)
1999 「INCIDENT 1999/TOKYO」 ギャラリーNWハウス
「1998-1999/OSAKA」ガーディアン・ガーデン
(’99写真「人間の街」プロジェクトpart2 NEO DOCUMENTARY企画)
1997 「off ground」ギャラリーNWハウス
1996 「構築の間」多摩美術大学上野毛校舎
1994 「「非属領的地勢観察」ギャラリーNWハウス
グループ展
2011 「フウケイ」UP FIELD GALLERY
2009 「LAND SITE MOMENT ELEMENT」UP FIELD GALLERY
2008 「Invisible moments」UP FIELD GALLERY
2002 「風景の余白に:写真」日仏学院
「○と□/坂本政十賜+たなべまさえ」 appel
1998 「UNDER/EXPORSED」ストックホルム
1996 アルル国際写真際-VOIES OFF企画(日本特集)- 参加
著書
2006 写真集 FLOATING espace vide
写真集 TRAVELING  espace vide
2000 @SHIBUYA PHOTO/DICE BOOKS 001 UPLINK 共著
雑誌掲載
2009 日本カメラ5月号「UNDER THE SUN」カラーグラビア5ページ
2011 アサヒカメラ2月号「東北」カラーグラビア8ページ
日本カメラ10月号「武蔵野」カラーグラビア6ページ

HP:http://www.espacevide.sakura.ne.jp/

榎本 千賀子|Chikako Enomoto

人が空間を知覚し、空間に影響を受け、空間を変容させ、空間に住まう。
自然と人為が交錯する人と空間の相互作用の中に、私もまた、巻き込まれてある。
その渦中に、写真というひとつの技術を介入させる。

私たちの視覚に似ていながら、視覚とは異なる理論に基づいて生み出された、写真術による像。
被写体の存在を忘れさせておかないが、被写体へと辿り着くことのない像。
私からは到達できない他所があることを、写真は静かに告げている。
私は写真に、他者を見ている。

壁の向こうからきれぎれにもれ聞こえてくる声に耳をすますように、写真を覗き込む。
他者と私のあいだが、新たな空間として立ち上がる。
この空間に触れるため、私は写真に関わっている。

1981 東京生まれ
2007 一橋大学言語社会研究科修士課程 修了
2010〜2011 写真展示スペースBroiler Space(東京・桜上水)を小松浩子と共に運営
現在 東京在住一橋大学言語社会研究科博士課程在学中
個展
2005 「DAEDALUS」 Musee F
2007 「Absolute Reasons」 表参道画
2009 「AX」 Musee F
2010 「OGU MAG企画展White Frame vol.3 Chikako Enomoto “Reflections”」 OGU MAG
2011 「bypass」 Toki Art Space「OGU MAG企画展White Frame vol.6 Chikako Enomoto “Lightning without Thunder”」 OGU MAG
グループ展
2010-2011 「Monthly Exhibition #01-10」 Broiler Space*榎本千賀子、小松浩子による月一回、全10回の連続展
2011 「新潟発・日本の発見 映像と記憶のアルケオロジー 1865-2011」Maison du Japon パリ
展覧会企画
2010 「今成家写真 写真との出会い: 江戸末期から明治 新潟にて」 Broiler Space協賛:ピクトリコ 協力:新潟大学
出版物
2004 「太陽とガジュマルの間」『月光』第23号 南原企画
2005 「紙とインク 写真と文字」『Ren』一橋大学言語社会研究科 紀要別冊 創刊準備冊子 一橋大学言語社会研究科
2007 「千切れたいま、ここ」『Ren』一橋大学言語社会研究科 紀要別冊第1号一橋大学言語社会研究科
2008 「Photographers File」『Photo GRAPHICA』vol.10 MdN「Young Photographers File_2008_01」『Photo GRAPHICA』vol.11 MdN
2011 「見世物の記録 ダイアン・アーバスの「一種の人類学」と親密性」『一橋大学言語社会研究科紀要 言語社会』 No.6 一橋大学言語社会研究科
「六日町の今成家写真 写真に響く歓声を聞く」『みなみうおぬま』 第9号
南魚沼市教育委員会

HP:Chikako Enomoto Web DAEDALUS https://sites.google.com/site/chikakoenomoto/

船木菜穂子|Naoko Funaki

私が写真を撮る時におこなっているのはおそらく、被写体と自分の立つそれぞれの点を探す行為です。風景、動物、静物、人間と向き合って写真に残す。
写真を撮る事で時間を埋めて行くと、救われているという感覚を持つことができました。その状況のおもしろさや世界のできごとを、写真によって客観的に記録することにはあまり向いていないようです。
風景を撮る時は、自分を重ねて撮る、自分をうすくのばして透明にしたいくつもの濃さのフィルターを持って歩いて、その風景の前でぱっと出してレンズの前にかざして撮る。
その瞬間がどんどん過去になっていく、点と点が線になっていく。
そのことにずっと後になって気づく。
それは歯がゆいことだけど、とてもありがたいことだと感じています。

1981 神奈川県生まれ
2002 東京綜合写真専門学校 卒業
2005〜2009 gallery Archipelago 共同運営
個展
2012 「みっつの点のきまりごと」      switch point
2007 「あおあおとグリーン」   gallery Archipelago
2004 「ジョンとジョンと」 art&river bank
2002 「ジョンとジョンと」 art&river bank
グループ展
2012 「ZINE/BOOK GALLERY! 2012」  宝塚メディア図書館
「写真の地層展vol.14・STRATO FOTOGRAFICO 2012」世田谷美術館区民ギャラリー
2009 「第14回yp展」      清里フォトアートミュージアム
2006 「うべなうべな」     gallery Archipelago
2005 「why not refuse?」            gallery Archipelago
「INS AND OUTS #portrait(S)」   gallery Archipelago
2004 「INS AND OUTS #2:green」   gallery Archipelago
2002 「TRANS」       EX’REALM
コレクション 清里フォトアートミュージアム
作品集 つばめブックス vol.21

HP:http://funakinaoko.com/

福山 えみ|Emi Fukuyama

私にとって写真とは世界と自分自身とを繋ぐものである。
世界というのは内面の世界(自己)と外側の世界(他者)のことで、写真を始めてからこの二つの世界と向き合い続けている気がする。
私の撮影する光景は他者の目線を含まない。しかし自分ではない他者の存在を強く感じられる光景を探し求めて、自分と関わりのない他者の住む土地をひたすら歩き回り撮影する。そして他でもない自分自身がその場にいてその光景を見ていた、という事実が大切で、惹かれた光景とそれを見ていた自分という二つが存在している状況事体を写し込みたいという思いで撮影し、作品を制作発表している。

1981 佐賀県生まれ
2004 東京女子大学 卒業
2006 専門学校東京ビジュアルアーツ 卒業
2008〜2011 TOTEM POLE PHOTO GALLERYのメンバーとして活動
個展
2006 「しずまないうちに」LOTUS ROOT GALLERY
2008 「月がついてくる1〜3」 TOTEM POLE PHOTO GALLERY
「月がついてくる」ビジュアルアーツギャラリー大阪
2009 「月がついてくる4」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
「a trip to Europe」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
2010 「月がついてくる5」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
「works 04-05」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
「月がついてくる」ギャラリー冬青
「森をさがす|月がついてくる」展 TOTEM POLE PHOTO GALLERY
*林田摂子さんとの連続展
2011 「聖 – hijiri – 」TOTEM PO LE PHOTO GALLERY
「月がついてくる6」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
2012 「A trip to Europe」gallery 10:06  大阪
グループ展
2009 「Opera」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
「やさしいモノクローム・銀塩写真の表現力」
TANTO TEMPO PHOTO CAFE AND GALLERY 神戸
国際展「窓の表面/スロー&テンス アトモスフィア2009」京都市国際交流会館
2010 国際展「ミラー・モンタージュ」ベルギーフランドル交流センター 大阪
TPPGメンバー展「Opera in Kyoto」京都精華大学アートスペース shin-bi
「Shinjuku × TPPG」 TOTEM POLE PHOTO GALLERY
「窓の表面 / SEOUL 2010.9.1 – 9.18」PHOS Gallery ソウル
2011 「2011×TPPG」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
「The Historic Future 5.5 青梅」TOTEM POLE PHOTO GALLERY
2012 「大街道展 –私の好きな場所–」そら塾 /根岸・Gallery 美0/大阪
「POV Female Tokyo」CALM & PUNK GALLERY 西麻布
写真集
2010 「月がついてくる」      冬青社
2011 「A Trip to Europe」   mcvmcv
2012 「Before Sunset Comes」 oodee

HP: http://fukuyamaemi.com

小平 雅尋|Masahiro Kodaira

初めて<写真>を意識した頃から私はごく自然にカメラ/写真を自己確認の道具=欲望の鏡として使ってきたようだ。まるで瞑想のように外界に反応する自分自身を観察、腑分けし、欲望を消化し続け、それでも残るものについて問い続けてきた。ファインダーを覗いている間、幾つもの意識が渦巻く混沌の奥で蠢くもの。この体を動かす原理。個の壁を越えてヒトは何を求めているのか、命とは何か。根源的な謎を自身の内面を探る事で見つけることが出来るだろうか。

 

1972 東京生まれ
1997 東京造形大学造形学部デザイン学科Ⅰ類写真コース 卒業
2011 出版レーベル・シンメトリーを設立
個展
1994 「 POPLIFE」ギャラリールポリエ
1998 「 写真の在りか」北鎌倉ワイツギャラリー
2002 「 ローレンツ氏の蝶 」アイデムフォトギャラリーシリウス
2009 「 続きの代わりに」月光荘
グループ展
2010 Gin-En展「続きの代わりに」 東京アートミュージアム
写真集
2011 「ローレンツ氏の蝶」 シンメトリー

HP:http://www4.ocn.ne.jp/~kodaira/

山方 伸|Shin Yamagata

・平面になる、フレーミングされるということを意識せずに写真を撮ることが出来ません。写真を撮るときは平面、フレーミングということに一番気をつかうということです。それでも今回はそこから逃れようとする力が働いたりもしているのです。それは「パッと撮る」という行為に現れますが、「パッと撮る」行為の中にはもう身に付いてしまった何者かが潜みがちで、その潜みがちな何者かをどのようにして追い出すのか、あるいはどのようにして表に出さないようにするのか、というのが今回の「パッと撮る」の中に含まれていたように思います。

・曇っている日より晴れている方が撮影意欲がわくということは写真には光が写るという当たり前のことに対して何かしらの欲求があるのだろうと思われますし、実際晴れていると気分がいいです。雲を介さない太陽光線を浴びる気分の良さは確かに写真に影響を与え、太陽の光によって出来る影、明暗のコントラストという視覚的な要素だけでなく、太陽光線の熱が肌にぶつかる感じ、青い空の下を歩いている気分のよさといった様々なことの結果として写真は出来上がります。が、それらのことは写真になった途端にほとんど抜け落ちてしまうのでこういったことは撮る側だけの問題なのかもしれません。

・撮影している場所は山の中です。平らなところがほとんどありません。関東平野のように広々と横に広がる風景ではなく(とはいっても東京は建物で視界が塞がれてしまうので横に広がっているとは感じにくいですし、微かな起伏は常にあるのですが)、起伏のある場所で、山の斜面に人が暮らしています。だから移動するということは斜面を上り下りすることとなり、その場所に慣れないわたしは普段使うことのない筋肉を使い、細いでこぼこした坂道を体のバランスを保とうとして歩くことになります。その場所で撮影しているとどうしてもその場所の起伏と体の関係を意識してしまいます。

・起伏のある場所を歩いているときの体に感じる感覚をそのまま再現できるとは思っていませんが、(ぜひともその場所を歩いてもらいたいとは思うのですが)写真という平面を見ることでまた別の感覚を、歩いているときとは違うけれども、それに類似した感覚、類似していなくてもいいのですが、いや、類似などしていない、まったく別の感覚なのかもしれませんが、何かが出てくればいいとは思っています。

・撮影している場所は山の中だということですが、もう少し詳しく言えば実家の近くです。さらに詳しく言えば紀伊山脈です。実家の近く、なんて言ってしまうと「故郷」や「ふるさと」というような言葉、あるいは観念?と結び合わせたがる人がいるのですがそのようなことはまったく思っていません。それでもその場所を撮ろうと思ったのは、斜面を上ったり下りたりする体がその場所とすんなり馴染んでしまった、あるいは体が様々なものを受け取ってしまった、ということなのでしょうか。

・撮影しているときに人がいれば話を聞くこともあり、聞く相手はほとんどが年寄りだから話す内容は過去の話になり、聞いて頭に残った話から想像できる風景と目の前にある風景がどのくらい違うのか、またはどのくらい同じなのか、草の生えた土、石を積み上げた階段などの道を歩くとき、この道や階段はいつからここにあるのか、そのような圧縮された時間を写真から読み取ることは可能ですが、それはその場を歩いているときに感じる時間の厚みに比べれば到底かなわないことで、写真に写り込むのはわずかなことでしかありません。

・山の中の集落の風景には人の「痕跡」を感じるのです。様々なことが細分化され、ほとんどのことに対して専門的な知識を持っていないわたしが読み取れるその「痕跡」の裏側には、人がまだ住んでいなかった頃のその場所の風景が隠れています。それが時間の厚みです。

・一歩進むたびに目に入る風景は変わります。起伏のある場所での一歩と平坦なところでの一歩は風景の変化の仕方が違います。斜面に向き合うようにして坂道を上っているときには手の届く範囲にある様々なものがそれこそ触れるように見えているのに、振り返って後ろを見れば遠くに連なる山々の姿や空に浮かぶ雲が目に入ってくるのです。そのような場所を歩くのはただただ楽しいです。そしてその楽しさは写真には写りません。

 

1973 奈良県生まれ
1996 高知大学理学部生物学科 卒業
個展
2005 「bee fly」コニカミノルタプラザ
2007  「over the river」コニカミノルタプラザ
グループ展
2007 「Mess」表参道画廊
2008 「Invisible moments」UP FIELD GALLERY
2009 「LAND SITE MOMENT ELEMENT」UP FIELD GALLERY
2010 「ながめる まなざす」UP FIELD GALLERY
2011 「フウケイ」UP FIELD GALLERY
「STREET PHOTOGRAPHS」TAP Gallery
2006 コニカミノルタフォトプレミオ大賞

HP:http://www.geocities.jp/ymgtsn_p/

池田 葉子|Yoko Ikeda

写真(プリント)は、それ自体は現実のイメージを含んだ平面的な物質ですが、同時に絵画的構成を作り上げ、タブローにもなり得るものである、と思います。そして、それを目指して作品を作っています。
絵画的とはどういうことなのか。私の場合、それは現実をうつしながらも、
非現実的な世界、実際とは別の空間を表現できるということ。そして、視覚的、造形的におもしろいかどうか、そして「美」を感じられるかどうか、ということです。
非現実的な世界の表現を目標にしながら、現実の世界を撮ることですべてが始まっている、そこにうっすらと矛盾のようなものを感じたりもします。
でも、自分が撮影のときに意図していないものがイメージに入り込んできて、それが思いがけずよい方向へと導いてくれることが少なからずあり、そんなときは現実を写す写真の強みを再認識します。

1965 石川県金沢市生まれ
1993 東京綜合写真専門学校写真芸術第二学科 卒業
1995 東京綜合写真専門学校研究科 修了
個展
2002 「about blanc」新宿コニカプラザ
2004 「fine line between」   銀座ニコンサロン
2011 「semiconscious note」ギャラリーメスタージャ
グループ展
2006 「casual meeting」   双ギャラリー
2008 26th Annual HCP Juried Membership Exhibition: Juried by Alison Nordstrom, Houston Center for Photography,ヒューストン、テキサス州  USA
2009 The Photo Review / Best of Show: Juried by Lesley Martin (Aperture), Gallery 1401, The University of the Arts, フィラデルフィア、ペンシルバニア州  USA
2010 Present Tense: 15th Annual Photographic Competition Exhibition: Juried by Denise Wolff (Aperture), Photo Center NW、シアトル、ワシントン州 USA
2012 The Photo Review / Best of Show: Juried by Peter Barberie
(Curator of Photographs, Philadelphia Museum of Art), Gallery 1401,
The University of the Arts, Philadelphia, Pennsylvania  USA
その他
2012 Online Exhibition –
The Print Center 86th Annual International Competition: Photography,
Juried by Jennifer Blessing
(Curator of Photography, Solomon R. Guggenheim Museum)

HP: http://www16.ocn.ne.jp/~yoko817

箱山 直子|Naoko Hakoyama

どのようなことがあろうとも、すべての植物が、決まった時期に芽を出し、花を咲かせることに、いつも驚きと喜びを感じる。短い時期に、さまざまな花が生まれて、繁栄し、枯れて、しおれて、腐って、また物質に戻っていく。
この循環は、どんな小さな庭の中にもはっきりと見ることができる。
長年撮影を続けている団地の庭は、植物が繁茂し、人間の想像を遥かに超えた、境界というものを浸食していくような世界が広がっている。その景色に植物の秘めた力を感じる。

1976 神奈川生まれ
2000 東京綜合写真専門学校第二学科 卒業
2002 東京綜合写真専門学校研究科 卒業
個展
2001 「Green Garden」Eggギャラリー
2002 「green zone」LIGHT WORKS
2003 「GARDEN CITY」巷房
2005 「Another time, Another place」Gallery Q
2008 「サオリ」巷房+巷房階段下
2009 「New Gardens」表参道画廊(倉石信乃企画展)
グループ展
2001 「二言目には」Gallery ART SPACE
2005 「ラスト・スパート2005 展」Gallery Q
2007 「The Party展」Gallery Q
2010 「ながめる まなざす」UP FIELD GALLERY

相馬 泰|Yasushi Soma

基本的には、ありふれた物を写真に撮って、それが写真として自分に興味を抱かせる要因がどういうことなのかに関心があります。
自己の無意識が拾い上げてくるものを分析して意識化していくという方向が、考えられるひとつの要因ですが、そのことよりも写真本来の様々な性質からくる要因を考察することのほうにより興味が向いています。
敢えて云えば、オーソドックスな写真の枠の中で、写真とは何なのかを探る作業、写真についての写真、写真と云うもののイデアを考究しようということ、写真の形而上学みたいなものだろうかと思います。
今、撮っている写真に即して書くと、ある場所に立ったときにその全体を漠然としたひとつの景として認識しているわけですが、それを写真化した際に複数のものからセレクトしていく基準を考えることで、自分にとって写真が成立する要因を探っています。
実際の個人的な感じでは、撮り難い場所で(東京のよく知っている場所)、自分が一番扱い難いカメラ(ハッセルのSWC)を使って、自分が見慣れていないような(自分の写真のパターンを微妙に逸脱するような)写真を撮ろうということです。
いつも言い訳がましく語っていることですが、これは自己に向けての自問自答の様な行為で、あまり他者に向かっての開かれたものではありません。
人に見せることを通して複数の視点を認識することで、自分の中での限られた「写真」という枠を少しでも広げていくことが目的でもあるわけです。

1962 東京生まれ
日本大学芸術学部写真学科中退。
00年代にネット上での写真の在り方に興味を持ち、
東京及びその周辺で撮った写真をブログで発表し続ける。
グループ展
2011 「フウケイ」UP FIELD GALLERY
2010 「ながめる まなざす」UP FIELD GALLERY
2009 「LAND SITE MOMENT ELEMENT」 UP FIELD GALLERY

HP:
東京的日乗 http://nitijyou.exblog.jp/
Slice of Life http://d.hatena.ne.jp/danntyoutei/

大谷 佳|Kei Otani

風景を見る眼差しの変遷は言葉、そして他者との関係性を作り替えてきた過程でもあるはずです。視覚と対象の自明なつながりを切断することで組み替えられていく眼差しの担い手でありたいという考えで風景写真に取り組んでいます。

1976 神奈川生まれ
2000 慶應義塾大学経済学部 卒業
2006 写真家金村修ワークショップ参加
個展
2008 「Concrete PH」Konica Minolta Plaza/Foto Premio
2011 「Esquisse」TAP Gallery

HP:http://www.otanikei.com/

あらゆる人間は未生の写真家であるだろう。

   それぞれ方法論も異なれば題材も多岐にわたる、「リフレクション」展の写真家たち。例えば、ある者は電車に乗って「丘」や「山」のつく地名の駅を見つけると降り、撮影をする。ある者は紀伊山脈のそれ自体魅力的であるに違いない小さな集落にわざわざ出掛けながら、自身が歩きまわる道や出くわした空間を撮影してまわる。その土地の魅力を報告するために、ではない。電車に乗るといった小さな行動の計画と目標はある。だが究極的に言って、彼らはどうも自明な目的を持たぬまま、そこここを眼差しているようなのだ。立ち止まって考えれば、こうした身のありようは実に奇妙ではないか。彼らは一体、何をしているのか。だがその前に、今回の企画が問題系とする、〈風景〉とは何か。
  〈風景〉は(少なくとも西洋においては)、〈主体〉の誕生、さらに言えば〈主体の内面〉の誕生とパラレルに浮上してきた近代の産物、近代の概念として出発したと言われる。人間主体は自己と未分化であった世界から理性をもって自らを切り離し、自己の観察の対象として世界を眼差した。その眼差されたものが風景である。外界とは人間にとって何よりも自然であり、だから風景は基本的に自然の眺めを意味した。人間は自らの身体を世界から分離させ、純粋視覚となった自らを引き受けて〈外界の世界=(自然という)風景〉を眼差す存在=主体となった。
  風景の定義に改めて触れたのは、人間と自然の相補的関係を浮き彫りにするためだ。人間が存在しなければ、風景は生成しない。風景が存在しなければ、人間は人間となることができない(外界という世界の存在を知らない人間が想起できようか)。人間と風景は共に産み落とされた、まさに双子。今回の出品作家たちも各々の仕方で、相も変わらず(・・・・・・)人間-風景の問題系へ向かっている。
  双子が辿るその後の運命を駆け足で辿ろう。双子の一方が主体となり、他方は客体として分かたれた時点で、両者には権力関係が発動した。外界たる世界、即ち自然は、人間とは異質な原理下にある存在として収奪され、破壊されていった。そしてこの片割れが失われかけてはじめて、双子の相補的関係が逆照射されてくる。ときは1960 年代から70 年代にかけて、アメリカで大きな地殻変動が生起してきた。人間の活動領域の拡大とともに自然は破壊されてR.カーソンの『沈黙の春』(1962)が書かれ、H.D.ソローの『森の生活が再読された。専ら自然を意味した風景の概念を、人々がその「なかに」在りさまざまなものと取り結ぶ関係性をも包摂するものへと拡張した「社会的風景」の写真も、この潮流で産み落とされた。
  だが、人間と風景の起源に遡る両者の相補的関係、そして拡張された風景で掴まえられる諸々の関係性から、より俯瞰的な〈写真のエコロジー〉の領域にまで認識枠を拡げてこそ、写真は生きられてくるだろう。潜在する関係性を見出す場を、一枚の写真の内部からイメージに帯電した現代社会の裾野にまで拡げるのだ。一枚の写真は、世界と隔てられ自律的に存在するのではなく、写真家の個の精神や身体の感覚、観者という他者のそれらや制度など社会、人間を取り巻く自然がつくる円環のなかにあり、潜在する結び目を可視化し、新たな意味を生成させて循環している。
  しかし、エコロジーは自然環境の範疇とのみ見做されているうえに、余暇活動の標語や商品の謳い文句として骨抜きにされ、その核心は今でも置き去りにされたままだ。グレゴリー・ベイトソンやフェリックス・ガタリが示したその核が理解されないところで、グローバルな越境が叫ばれながらも自然と人間の、人間と人間の間を分かつ宗教や人種や貧富の境界線を巡る政治や制度、感性が今なお社会を成形し、多くの人々を突き動かしてこんにちの袋小路を作っている。日々垂れ流されるニュースの映像がそれを補強する。だとするならばむしろ今こそ、関係性を前景化する風景の写真をエコロジーの越境性の強度において読むことの可能性を、愚直に探索するべきときと思われる。遠くのテロリズムから明るい消費文化のイメージまで、世界の固定化された像の循環する社会的空間のなかに、これらの写真家たちの作品を残響させること。写真をみることによって、写真家の身体の宇宙と世界の共振関係を観者が自らに折り返すこと。つまりは席巻するイメージに取り巻かれ囲い込まれた世界を搖動化し、世界を眼差す人間の原初へ降りていくステップを、彼らの作品とともに踏んでみること。日常の光景を見え難さと克明のあわいに引き延ばし宙づりにすること(池田葉子)。自分の住まいでもない集合住宅へ通い、その中庭に茂るありふれた植物に生命の循環を見届けること(箱山直子)。心理的余白と持続的テンションで空っぽなありふれた風景を転倒させること(大谷佳)。凝視の眼差しのうちに、蝶を羽ばたかせ世界を震わせること(小平雅尋)。カメラに自由を与える写真家の身体の運動と世界の身体=起伏をチューニングし、自己の諸感覚を世界に開くこと、それを眺めること(山方伸)。エコロジーを感受することは、自明視される境界を無化し、諸々の関係項の多数性とそれらの結ばれに目を凝らすということだ。エコロジーとは、人間が自らと共にある世界の中に潜在する多様な関係項をつかみとり、世界とさまざまに結び目をつくる、そのような空間を浮かび上がらせる技法、感性のレッスンでもある。
  「リフレクション」展の写真家たちは、自らの身体という自然と自らと対話する二重化された主観だけを頼りに、エコロジーを可視化する領域を写真で探り当てようとしているようだ。身一つにカメラを携え、自らが生きるこの世界を探索し、そこに潜在しながらもまだ現出していないものとの出会いに備えて歩き、のぼりそして降り、立ち止まり、眼差す。そのような身体の運動は、世界のなかに身一つで在りながら同時にそこここでさまざまな異他なる存在と結び目を結び生きようとする人間の根源的ありようを指し示している。そもそも人間が人間であろうとするならば、世界に結び目を結び棲み生きようとするならば、その者は世界に潜在する結び目を眼差す風景の写真家に限りなく近づいていくだろう。すべての人間は潜在的に写真家、未生の写真家である。
  最短ルートを狙い潜在するものを取り零す目的論的偏狭さを破砕しつつ進む彼らの作品は、人間のひとつの道程を刻んでいる。スピードと効率を志向する現代社会のなかで、在るものが無きものとされる社会で、メディア・イメージが社会を覆い尽くし逆説的にも現実を見え難くするなかで、相も変わらず(・・・・・・)写真家たちが風景に向かうのは瞠目すべきアナクロニズムであり、と同時に人が自らの置かれた世界で結び目を作り〈生きようとする〉からには、尤も至極な自身の根源的要求への応答とみえる。自己も風景も薄剥きの映像にされる時代に、飽かず風景を傾け歪ませ流動させて人間の自己と身体の感覚を孕ませ更新し続けること(相馬泰)。ひっそり佇む古屋を見つめ、遠さ/近さのアンビバレンツを対象に纏わせ、小さな歴史の時間を堆積させること(坂本政十賜)。「‐越し」の眼差しで、世界にある自己の手触りを確かめること(福山えみ)。複数平面の接合や不整合の交錯を視覚化し、住宅地という人工空間を眼差しのうちに再起動すること(榎本千賀子)。生の営みを二枚組の双子で産み落とし、そのヴィジョンに確かな生の手触りを賦活し巡らせること(船木菜穂子)。そのような写真は、撮影者本人の感慨や意図はどうあれ、社会的弱者を捉える写真よりもはるかに社会的で、その寡黙さはラディカルで、徹底的に個的に閉じてみえながら徹底して開かれてありうる。
  一枚の作品が抱き留めるものが、他の作品が映し出すものとすれ違い、結ばれ、残響しあう「リフレクション」展の空間。それは作品たちが互いに、そして我々の記憶や経験と結ばれて、多様な有機的結び目を作ったり解いたりするエコロジーを感受させる空間となることだろう。

日高 優(群馬県立女子大学准教授)

Place Mで開催する企画展について

企画展「リフレクション」

Place M で2013年3月に開催する企画展「リフレクション」は、私がディレクターとして2007年から2011年まで継続してきました、企画展「風景に係わる写真の表現について」の考え方を踏まえて、新たな方向性を導く為に開催することにしました。

今回の企画展では、「風景に係わる写真家の表現と可能性」を示唆するために、風景に係わる写真の表現構造を明らかにしていきたいと思います。そのために展示は展示室別にキーワードを創り、各展示室の出品作家の表現形態をたどる事で、風景に係わる写真の表現構造が表象するような展示形態を創り上げています。

タイトルの「リフレクション」とは、選ばれた作家が集まり何度もやり取りを行いながら展示を作っていく作家同士のリフレクションであり、また展示された作品同士や各展示室が各々反映しあって、新たなイメージを表象させる事を意味しています。それゆえにカメラや視覚の隠喩とも言えると思います。

企画展には10名の写真家が参加してPlace M & M2 gallery 両方のギャラリーを使用して、2会期/各会期13日間で開催します。また会期中のイベントとして毎週土曜日に、展示室別のギャラリートークを開催します。

Director 湊 雅博

info@masahirominato.com
http://www.masahirominato.com

 

坂本 政十賜|Masatoshi Sakamoto 作品(2)

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榎本 千賀子|Chikako Enomoto 作品(2)

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船木 菜穂子|Nahoko Funaki 作品(2)

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