2016年9月


展覧会スケジュール・ギャラリートーク

2016年11月7日(月)〜11月19日(土) 12:00〜19:00(最終日17:00まで)日曜日休廊

[ギャラリートーク]
11月12日(土)  16:00〜18:00 (参加費 ¥500) 高橋 朗(PGIギャラリーディレクター) +出品作家

[オープニング・レセプション]
11月8日(火) 18:00〜20:00


▶▶ 展覧会リーフレット (15MB) ◀◀

 

若山 忠毅|Tadataka Wakayama

5月と8月の休暇を利用して北陸と東北へ行った。道中を移動して、どういう風景がみえてくるのか、写真を撮りながら確かめることにした。すると、移りゆくうちに一見没個性的な道端の事物が風景として浮かび上がってきた。

誰もが気にとめることもない幹線道路沿いの建築物や草木が繁茂する様子は、よくある風景とか、奥深さのないものとして考えられがちである。その様子は、ある程度は前後の空間との関係性を見出すことができても、何の働きかけもしてくれない不可解な空間である。こうした自然と人工の縁(へり)や間(あわい)は、人間や自然の営みに属さない不明瞭な場所だといえる。

しかし、次第にそうした均質で疎らな空間に違和感や親密感を覚えるようになってきた。おそらくそれは、元々抱いていた地方のイメージと、現地で目の当たりにした風景との差異によるものだろう。あるいはまた、その土地固有の属性を持たないそれらの宙づりな状態が、郷土=国土を愛することができない自分の精神性と合致していたからなのかもしれない。

日常生活を離れたところを移動していると、郷愁よりも虚ろな現実が、近づけども近づきがたい、生活の営みから疎外された「日本の風景」が浮かび上がってくる。

1980 生まれ
2011 早稲田大学芸術学校卒業
TAP Gallery メンバー(2011.10-2014.12)
2014 第10回写真「1_WALL」展ファイナリスト
個展
2015 「余暇、観光、そして疎ら-東北・北陸-」 蒼穹舎 東京
2014 「余暇、観光、そして疎ら」 TAP Gallery 東京
2013 「外環」 TAP Gallery 東京
「世間は美しいものであふれている」 TAP Gallery 東京
「縁」 TAP Gallery 東京
「Urban sprawl」 TAP Gallery 東京
グループ展
2014 第10回写真「1_WALL」展 ガーディアン・ガーデン 東京

寺崎 珠真|Tamami Terasaki

私が写真をするのは、人間の心とは関係なく存在する世界への憧憬と敬畏、そして僅かでも人間という煩わしさの外から世界を見たいという思いがあるからである。
日々風景と自分が共鳴するところに向かっている。歩いては立ち止まり、見るか見ぬかのうちにシャッターを切る。
しかし対峙する風景はギスギスしていて素っ気なく、撮れば撮るほど突き離されていくようだ。そしていつも途方に暮れるばかりである。

それでも、ただただ、未だ見ぬ風景に出会うことへの衝動に突き動かされている。
無数のピクセルの向こうに何が見えてくるのか…

これらの写真は、眼前を掠めていく認知以前の視野であり、探査の記録である。

1991 神奈川県生まれ、神奈川県海老名市在住
2013 武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業
個展
2015 「LANDSCAPE PROBE」 コニカミノルタプラザ 東京
2014 「Rheological Landscapes」 大阪ニコンサロン 大阪
2013 「Rheological Landscapes」 新宿ニコンサロン 東京
グループ展
2015 『東京工芸大学・武蔵野美術大学共同研究企画展「写真の使用法」』東京工芸大学3号館ギャラリー
「Web Collaboration Vol.1 ‒ ULTRA PICNIC ‒」 World Wide Web
2011 「1つのドアと4つの窓」 アートギャラリーCORSO
2013 第8回「1_WALL」審査員奨励賞(増田玲選)

HP:http://ttrsk.org

丸山 慶子|Keiko Maruyama

出身地である新潟県燕市を撮っています。
ずっと見ていたいからということと、自分が育ったとろこについて知りたいと思うからです。

あちらこちらには錆が見られ、それは時間の経過によって濃くなっていきます。
錆は時間の堆積物であり、ここを知る手がかりです。

撮影することで歩き回り、よく見る。
それが自分にとって大切なのだと思います。

これからもここを撮影しつづけたいと思います。

1980 新潟県生まれ
2003 多摩美術大学 映像演劇学科卒業
2007 resist写真塾参加
2013-2014 GALLERY SHUHARIメンバー
 個展
2015 「つばめ」100PhotoGallery 東京
「サンロード宮町商店街」100PhotoGallery 東京
2014 「つばめ」GALLERY SHUHARI 東京
2013 「つばめ」GALLERY SHUHARI 東京
「つばめ」GALLERY SHUHARI 東京
2008 「つばめI H19.6-8」Gallery Conceal 東京
グループ展
2015 「100PhotoGallery Closing Exhibition」 100PhotoGallery 東京
2014 「ひととなり-為人-」GALLERY SHUHARI 東京

『「夜警」を超えて』 深川雅文

 風景は、写真史のなかで肖像と同じくらいに重要な領域であった。その風景写真は、21世紀を目前にした1990年頃を前後して、大きな転換点に直面したように思われる。風景写真が捉える「場」の意味がその頃を境に大きく変質していった形跡がある。かつて、風景写真は、撮影した場所と地名にしっかりと結びついていた。岡田紅陽の「富士山」写真、アンセル・アダムスの「ヨセミテ渓谷」の写真…モダニズムの写真美学に反旗を翻したルイス・ボルツの奇妙な風景写真、また、テイストは異なるがベッヒャー夫妻の「産業構造物」やトーマス・シュトルートやアンドレアス・グルスキーなどその弟子たちが捉えた風景の写真ですらも例外ではなかった。1989年のベルリンの壁崩壊とそれ以降の社会状況、そしてデジタルネットワークの進展は、ある地点に向かって発展、成長していくという近代的な歴史概念を解消し、歴史性に結びついた「場所」という概念は大きく揺さぶられ、そこに歴史性から脱却した「場所」の概念が生まれてきた。歴史的な意味をはぎ取られた”中性的で無差別的な場”と形容できるような「場所」である。

 こうした時代の変容に敏感に反応した写真家の一人が、西欧文明の行き着いた果ての殺伐たる黙示録的風景の追跡者として、1980年代初頭からその末まで「パーク・シティ」「サン・クエンティンポイント」「キャンドルスティックポイント」といった風景作品を立て続けに発表したルイス・ボルツであった。ところが、1970年代に風景写真の革新の旗手として注目されたボルツは、90年代に入ると、自らが推し進めてきた風景写真の世界に、突然、別れを告げるような問題作を発表し波紋を呼んだ。1992年に、ポンピドーセンターで発表した「夜警」である。高さ約2メートル、幅約1メートルのカラーのパネル状の作品が12点繋ぎあわされた作品で、そこには、都市を監視するカメラからのビデオ画像を軸にして、ハイテクを象徴する光ファイバーケーブルの塊やスパコンの外観や基盤の写真がインサートされていた。犯罪抑止を目的にフランスのある都市に導入された監視システムをテーマにしたこの作品は、ボルツのそれまでの精緻な風景写真のイメージとの連続性は断ち切られており、当時の多くの評論家は戸惑いを隠せなかった。大きく揺らいだ歴史意識の変貌と高度技術が浸透する社会のダイナミズムを直感し、ボルツの中には大きな変化が生まれていた。彼は語っている。

 「…1988年になると、私は、技術と流浪の民というふたつの現象に心惹かれた。このふたつは、互いに関係し合い、世界の消滅というものに与っているように思えたのである。…1980年代の私の仕事は、黙示録的な含蓄をもっていた。1990年になると、世界はある意味で終わってしまったように思われた。1992年になると、私は、自分自身が世界を自由に行き来する流浪の民になっていることを自覚した。…」(1)

 ここで語られる「流浪の民」とは、次のようなものである。技術革新が可能にした高度な情報処理装置と通信装置そして飛行機などの高速移動機関を巧みに操り、利用しながら、ボーダーレスとなり文字通りグローバル化した世界を自由に駆け巡る人々のことである。彼らにとって、もはや特定の地域や土地はかつての意味よりも、高度技術によって産み出され、国境を超えて広がる均質的な空間が優位にたち、さらに、膨大な情報が無差別的に溢れかえる仮想空間が、活動の場として無限に広がっている。ボルツのターニングポイントとなったこの時期、インターネットは産声をあげたばかりで、パソコンの普及もまだこれからであり、もちろんスマートフォンの普及は先のことで今日の状況とは全く異なるが、ボルツは来るべき時代の特質をしっかりと見据えていた。場所の意味の均質化あるいはニュートラル化へと向かう時代の潮流を敏感に感じかつ重く受け止めたボルツにとって、歴史的に特別な意味をもった場所としての風景を撮り続けることはもはやできなかったのだと思われる。

 ボルツの言う世界の終わりとは何を意味していたのだろうか?

 「黙示録は終わった。現在あるものは中性の先行であり、中性と無差別的な形態の先行だ(略)…残ったものは、と言えば、それは索漠とし、無差別的な形態やわれわれを破棄しようとするシステム自体の操作にかかわる魅惑だ。その魅惑とは、このうえもなくニヒルな情熱であり、それは消滅世界特有の情熱でもある。…」(2)

 これは、フランスの哲学者、ジャン・ボードリヤールが現代の新たなニヒリズムの到来について論じたテクストの一節である。ボルツの作風の急変と彼自身の言葉を重ね合わせてみると、ボードリヤールの主張はボルツが至った心境をパラフレーズしているように思われる。「夜警」は、ボードリヤールが示した中性的なものが支配する世界像の表出であるとともに、グローバル・コミュニケーションの到来とともに人類が直面せざるをえない世界観の変質を予兆的に問いかけた問題作であったと言えよう。

 「夜警」発表からほぼ四半世紀を経過した現在でも、今日の風景の写真について考えようとするとき、彼の”転回”は多くの示唆を含んでいると思われる。その後、1990年代半ばから加速するパソコンとインターネットの浸透、さらに2007年に発売されたiPhoneを嚆矢とするスマートフォンの普及、人口知能を始めとしたデジタルテクノロジーのさらなる発展と社会化が進んだ今日においても、いや、そうした時代だからこそ、風景写真の現在を見るための始点としてこの作品を置いてみることは有効であろう。

 ボルツが見ていた”中性的な場所”の概念は、テクノロジーの進展ととともに怪物的に膨れ上がったと言ってもいいだろう。ひとつは、グーグルマップによる世界のデジタル・マッピングの完成がある。地球上のすべての地点が、衛星からの視点でカメラで無差別的に捉えられてマッピングされ、さらに誰でも簡単にその場所の地図的、地形的な情報を瞬時に獲得できるようになった。加えて、グーグルは、地上での目線で車載カメラでさまざまな角度から捉えたストリートビューを提供し、世界の主要な都市風景の最大のサプライヤーとなった。グーグルマップは、まさに、場所の情報を無差別的にシステム化することへの”ニヒルな情熱”がもたらした成果にほかならない。もうひとつは、ボルツ自身、「夜警」においてテーマとした監視カメラによる、光景の間断なき収集のシステムの完成である。ボルツが当時取り上げたフランスの都市では、その導入の際に、プライバシーの侵害の恐れがあるとして反対運動もあったというが、いまや、そうした議論の余地はほとんどないだろう。公共的な場所のみでなく商業施設や産業施設ならびにビル・住宅といったほとんど全ての場所で監視カメラが眼を光らせており、一年中、間断なくレンズの前の光景を記録し続けている。事件や事故などが起こると、事実はかくかくしかじかでしたという証拠のためにその光景は切り出されて提示されるが、そうでない場合も常に記録され続けている。監視カメラが日常化した世界に私たちは生きており、そのことに馴らされている。衛星のカメラそして監視カメラが自動的、機械的に捉える中性的な場所の映像群は、無意識の茫漠たる海に広がる風景のアーカイブなのだ。風景を意識的に捉えようとする現代の写真家たちは、自らが眼の前にする風景に対峙するとともに、場所の徹底したフラット化から生まれた”風景の墓場”とも戦わなければならないのだ。

 2011年の3月11日に起きた東日本大震災は、福島原発のメルトダウンも伴い、近年稀に見る災禍となって甚大な損害をもたらし、日本はもとより世界の人々に大きな衝撃を与えた。この災害は、写真家にとっても大きな衝撃を与え、国内外の多くの写真家が被爆の危険性を知りながらも現地に赴き被災の風景を撮影してきた。それは、久しく忘却されていた「場所」への歴史的意識をあらためて喚起させた強烈な出来事であったと言えよう。とはいえ、それが風景写真の流れにおいて、その後、大きな展開を見せたとは必ずしも言い難い。というのは、今日の強大なメディアは、歴史的場所の意味をあっという間に消費し尽くし、現在から切り離してしまうからである。いかなる重大な歴史的出来事も、”情報”として無差別的に中性化されてしまう。こうした”世界の中性化”の潮流にカウンターパンチを浴びせることが、アートにとってより重要になっている。写真家は、その流れに抗する先兵として戦うことができるはずである。

 1960年代、伝統的な風景写真への異議申し立てを行ったネイサン・ライオンズの言葉は今も傾聴に値する。彼は、『コンテンポラリー・フォトグラファーズー社会的景観に向かって』(3)の序文で、風景をある絶対的な存在として措定するのではなく、「”人間と人間、そして人間と自然との関わりといった相互連関”を内実としたもの」として捉えるという視座を提示した。風景をある人間的な関係を指し示す外観として捉えようというのである。そのような外観を、断定ではなくいわばひとつの「問い」として提示することによって、写真は単なる叙述や美的表象の機能を超えて、それを見る人間の世界像にまで達する作用の深まりを獲得することができるという、写真の可能性についてのビジョンが差し出されていた。写真家が捉えるべき”相互連関”の内容は、今日、さらに複雑化し、自然や風土に加え、例えば、環境、情報、メディア、テクノロジーといった要素を加える必要があるにしても、人間的関係に基づく外観のビジョンを「問い」として提示するという精神は、風景の中性化への圧力がこの上なく高まっている今日であればなおさら、写真家の実践を待っているのではないか。

 今回の「リフレクション」展に参加する三人の作家、寺崎珠真 丸山慶子 若山忠毅の作品は、それぞれの仕方でかかる写真家の実践に与っていると感じられるのである。

ふかがわ まさふみ キュレーター/クリティック


(1)”LEWIS BALTZ  OPERE/PROGETTI 1991-1992″, Civi Musei – Sale “San Francisco”, Emilia, Italy, 1992
(2)ジャン・ボードリヤール 『シミュラークルとシミュレーション』(叢書・ウニベルシタス) 竹原あき子訳、法政大学出版局、1984年 198-199ページ
(3)”Contemporary Photographers – Towards a Social Landscape”  (edited by Nathan Lyons), Horizon Press,  The George Eastman House, Rochester, New York, 1966

textimg

リフレクション写真展2016について

風景に係る写真家のあらたな表現と可能性を表象する場としての「リフレクション」写真展は今年で4回目の開催になります。
昨年の展示では「風景として認識する場所とその考察」という展コンセプトを作家各々が作品に反映させる為に、作品制作していく過程をお互いに検討し確認する作業で生じた共有する意識と恊働性を表象させるように、各々の写真が重層的に交差する展示空間を出現させました。
今年の展示は3名の作家が参加して、毎月の会合を重ねて各々の作品制作を精査しながらより深化した展示空間の構築を考えてきました。
作家にとっての個別性である場所、知覚する身体、カメラの知覚との関係を考察していくことは、対象にした場所の存在と写真に変換された風景として存在する場所との関係性を、あきらかにする事にもなります。
作家個々の成立要件の同義と差異を展示空間として表象させることで、各々の作品が反応し合って、観者にあらたな知覚意識を呼び起こす磁場を表出させる風景写真の有り様を提示します。

本企画展について

2013年より開催している企画展「リフレクション」は、私がディレクターとして2007年から2011年まで継続してきました、企画展「風景に係わる写真の表現について」の考え方を踏まえて、新たな方向性を導く為に開催しています。

タイトルの「リフレクション」とは、選ばれた作家が集まり何度もやり取りを行いながら展示を作っていく作家同士のリフレクションであり、また展示された作品同士や各展示室が各々反映しあって、新たなイメージを表象させる事を意味しています。それゆえにカメラや視覚の隠喩とも言えると思います。

▶ リフレクション2015
▶ リフレクション2014
▶ リフレクション2013

Director 湊 雅博

info@masahirominato.com
http://www.masahirominato.com

 

寺崎 珠真|Tamami Terasaki 作品(1)

terasaki01

丸山 慶子|Keiko Maruyama 作品(1)

maruyama01

若山 忠毅|Tadataka Wakayama 作品(1)

wakayama01

寺崎 珠真|Tamami Terasaki 作品(2)

terasaki02

丸山 慶子|Keiko Maruyama 作品(2)

maruyama02

若山 忠毅|Tadataka Wakayama 作品(2)

wakayama02

寺崎 珠真|Tamami Terasaki 作品(3)

terasaki03

丸山 慶子|Keiko Maruyama 作品(3)

maruyama03

若山 忠毅|Tadataka Wakayama 作品(3)

wakayama03

Back to top