リフレクション 写真展 / director 湊雅博

2016年10月


リフレクション展2014の展示風景を掲載しました

[ 2014年9月16日 ]

リフレクション展2014の展示風景をREVIEWに掲載しました。

 

座談会

[ 2014年9月1日 ]

今回のリフレクション展に参加したメンバーはどちらかというと口数の少ない作家が多く、毎月のミーティングでもあまり活発な議論にならなかった。それでも三度目の参加となる横澤さんに言わせると、毎回かつてないほど写真について話してる、とのことだったけれど、私にはどこか物足りない部分が残ったので、展が跳ねたその足で、打ち上げ兼座談会を開いた。お疲れさま、とあっさり別れる前に、もう少し腰を据えて話をしましょうと。

が、あてにしていた店がお休みで、いつもの懐メロ居酒屋になだれ込んだのが失敗だった。BGMの音量があんまりにも大きく、地域の祭りの打ち上げも賑やかで、隣に座った人の声しか聞こえない。山下さんは個展も重なっていてぐったりしてる。とにかくレコーダーで録音こそしたものの、ほとんど全体の会話は記録することができなかった。結局自分が場所を動いて個々と対話するしかなかったのだが、それでもあのまま終わってしまうよりはずっとよかった。すべてのわだかまりがほぐれたわけではないけれど、やっと写真の話が出来たように思うし、とにかく時間をかけて対話することでしか納得できないものもあるということだ。

どうにも話が断片的でとりとめがないので、拾えるだけ拾ってゆく。つながりもまとまりも度外視だ。また、自分がレコーダーを持って移動していたので、どうしても森下に対する言及が多くなるのもご容赦願う。

私が気になっていたのは、金子さんが展示構成を決する最終段階で自身の先生である金村修氏に相談し、その指示に従ってそれまでのプランをがらっと変更させたということがひとつ。

もうひとつは、金子、横澤、森下の写真に対する態度と、村越、山下のそれの間にある差についての議論が皆無であったこと。この二点だ。そこまで辿り着ければいい。ひとまず公開。時間をみつけて随時更新する。

まず金子さんの問題だが、これはやはりいただけなかった。私は「金子さんは旗を掲げてない。だからどんなに言葉を費やされても届いてこない」「あなたはまだ写真を引き受けていない。写真学生なんだという認識でいいのか」などと酔いに任せてかなりひどいことを言った。しかし本心だった。湊さんも言っていたけど、いつも逃げ道を用意して制作に臨んでいるようなところがあるのではないか。今後金子さんがなるべく早く金村さんから離れて、自分の道を歩むようになることを願う。途中から席が離れて、声が届かず興味も薄れてしまったので、最後までフォローしきれなかった。

湊→金子「誰に頼まれてやっているわけでもないのだから、どうせやるなら大暴投でもよかったのでは?」

金子さんの声が拾えていなくて、反論を書き起こせないのが申し訳ない。だがあまりはっきりした反応がなかったのも事実だ。

森下「反論してくださいよ」
調「当初の打ち合わせでは、いくつかの切り口で作品がでてきたのに、あるときガラッと変わった。それはなんでんですか?」
金子「」

ディビジョン1と2の差異に関しては、そもそも制作にかかわる姿勢が違うのだから話にならないというのが当然で、そこを議論してもどうにもならないという前提があった。だがその前提を成立させているいる写真の使用方法をもうすこし詰めて比較するべきだったのではないか。写真の表面にある情報や美しさをどう整理して物語に導くのか、もしくは写真そのものからたち現れる質に導くのか、その仕方が重要なのだから。いくらかそんな会話もあった。

森下「山下君は借り物のスタイルをなぞる必要はないのでは?」「いいキャラクターを持ってるんだから、それを前面に出した方が面白いんじゃない?」「絵で勝負するの?それとも物語なの?」

相馬「無理に物語と非物語に分けることないんじゃない?」森下君には森下君の物語があるでしょ」
写真から豊かさを引き出そうとする相馬さんのスタンスはよくわかる。
森下「一枚の写真で勝負しなくてはいけないのでは?」
山下「一枚の写真で勝負するタイプは、今回は森下さんだけじゃないですか?
村越「実は俺もそっちかも・・・」「俺が文章を書いちゃうと・・・」「圧倒的な一枚と、いろんな100枚だったら、僕は100枚なんです。それを連ねてゆく過程も、僕のやりかたなんです」

森下「村越君にとっては、リズムを刻むことが大事なの?」
村越「山に財宝が眠っていて、森下さんはその財宝に一直線に向かうけど、僕はその財宝へ向かう過程も含めて自分の作品だと考えているんです」相馬「前は森下君の作品はもっと一枚完結型だったけど、最近だんだん自由になってきたよね」

相馬「村越君はあまり多くは語らないけど、すごくよく考えて作品を作ってるよね。横澤さんはもっと本能的な感じがする」

調「今回の展示で、例えば三階の展示だったら、写真に埋もれるような展示になるのかな、と思ったら、意外とすっきりした」
湊「あそこからはみ出すぐらいのことができたらよかったんだけど。見る人によっては、悪くない展示だと思ってくれるみたいだけど、もっと個々の作家が踏み出してもよかったのでは。それがもうひとつ伝わってなかった。来年の課題。作家ってのは自分の世界を大事にしないといけないんだけど、それがもうちょっと混じりあっていってほしい」

相馬「僕は今回の展示ではどの作家を見てもそれなりに自分の世界観を構築してきているので、、そんなに失敗はないだろうと。三階は、単純に会場に占める白の量によるのでは?。あと、金子さんが最初の頃のミーティング持って来てばーっと並べてくれた作品は迫力があってとても良かったから、これで行くかな、と思っていたら最後で急に変わったから(これは森下も横澤も同感)」「三階は三人とも、みな雑然とした感じだったから、そのままいければ良かったのかもね。それぞれにみな器用だから、最後はすっきりまとまっちゃった。逆に好き勝手やった方が良かったのかも」「二階の二人は、できればもっとお互いが勝手に好きなことをやったほうが面白かったのかもしれない」「横澤さんの写真は実はラフで荒れた写真だから、あまり整然と並べない方がよかったかのしれない。それこそでかいのピン張りとか」「なんだかんだで、一年って長いでしょ、影響されて変わっていくでしょ。その変わりかたが重要なんだと思うけど」「そうじゃなかったら、自分の得意なパターンの写真を並べたりしちゃうでしょ」「森下君はどこまで自由にできるかって感じなの」森下「うーん、4x5で撮りはじめたのはとても大きいのですけど・・・」

相馬「トークでは、歌になればいいって言ってたけど、歌じゃなくて共鳴すればいいんじゃない?ばっちりだと音が消えちゃうでしょ?共鳴しても、世界と自分がズレていて、それがいいんじゃない?」
森下「あまりフィットしないんですよ。音がズレてても、反響していても、それが僕の歌になんじゃないかと」
相馬「共鳴して音が消えちゃう写真ってあるんじゃないかな。消えちゃってもいいじゃん。写真が残るから」

森下

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