5月24日に行なわれたDIVISION-1のギャラリートークレポート
[ 2014年5月29日 ]
5月24日に行なわれた深川雅文(キュレーター)×金子泰久、森下大輔、横澤進一によるギャラリートークを私見も含めてまとめます。
序盤は深川さんの個人質問と紹介で始まる。
金子さんから始まり、アッジェの写真が好きだという事から始まり、ベンヤミンがアッジェの写真を見てある種の普遍的な殺人現場という話に繋がり、展示会場におかれている(普段はテキストだがグループ展を考慮し)CDプレイヤー内の「豊田商事の事を国会で扱っている際の議事録」が役職と名前から連想する事と、写真見る事から連想する事が似ているのではないのかという話になった。
続いて、森下さんは写真学生時代に叩き込まれた写真至上主義(自身がカメラになる。あるいは写真と一体化する的な意味)を「風通しが悪かった」と語り、4、5年後に世界の確かさの証明に飽き、そこに自己を投影しても良いのではないのかと思い始めたと続けた。見えないものを見える様にしたい、まっすぐ行って突き抜ける。理論を見せたくない。一枚で成立させたい。などの森下さん節が炸裂した。
それらを受けて深川さんが」写真を見ていて引っかかる部分が、新たに想像するようなところが色々ある。写真が名前として指し示す事。このアプローチは面白い。」と答えた。
最後に、横澤さんは写真を撮る理由を語った。以前は自身のゆかりのある場所を撮っていた。しかし、一昨年体調を壊し、2013年再び回復してから体を自然にならす様に、撮りにくい立ち入り禁止の場所で撮影を開始した。場所は荒川中流を撮り始めた。以前は広く浅く撮っていたが、次第に場所を狭めていったという。荒川を撮り始めた理由としては、震災や父の入院(水が溜まる病。しかし、その水を抜くため、水を飲まなくてはいけないという状況)などがあると語る。選んだ写真はごちゃごちゃしたものを選び、左上と右下を決めて、それ以外はバランスを考えて並べたと語る。
それらを受けて深川さんは「ルイスボルツが殺伐とした風景を撮りながら、人間の置かれている状況を想像するが、それはあるのか?」「これまでは風景に歴史的な意味を付ける様に成り立ってきたが、それらとは関係なく体で撮って成り立ったという風景の生まれ方が新鮮だった。」と語った。
紹介が終わり深川さんから質問。アルベルト・レンガー=パッチェ写真集「世界は美しい」から、出展作家へ向けて「世界とは何か?」と言う質問が投げられた。
森下さんは「世界は一緒に歌う相手」と答え、存在と自分が溶合い歌になりたい。うまくいくと世界と自分が消えるのではないのか。そうすれば美しくなると続けた。
続けて深川さんから「物語とは?」という質問がされ、「意味が分からない。全く考えた事がない。」と答え、ルイス・ボルツの写真でGOサインが出たと言う。
横澤さんは「世界は素朴なもの」と答えた。関係ないもの程面白く、見るつもりの無いものを見てしまったりする為に写真を撮っている。センセーショナルな物事よりも普通なものに目が向く。そして、何度も同じものを撮ってしまう。それは杭を打つ場所がないにも関わらず、なんとか隙間を見つけて打つ事に似ていると語る。
同じく「物語とは?」という質問に対して「あった方が良い。自分と関係のない話しでは無く、それは撮るきっかけとなった話をつけた方が良いと思う。」と語り、今回の作品に仮にタイトルをつけるのであれば[カウントレス パイル]と付けると語った。
金子さんは「世界はオドロしい、あるいは、世界は暗い」と答え、呪術に興味があり、そういった情念の様な願いを叶えたいという欲望があるのではないのかと語り、それが写るのではないのかと続けた。
同じく「物語とは?」という質問を受けて、「排除したい。しかし、見る時に物語が生まれるのではないのか?それは見る人に委ねたい。似られる時に物語が生まれる事は否定しないが、写真だけで勝負したい。」と語った。
後、休憩をはさみ会場とのやり取りも行なわれたが、いまいちメモを取りきれず混線したので来場者のみの特権として割愛させていただきます。申し訳ない。
各作家に対しての私見をいくつか書いてみようと思います。
森下さんはやはり私にとっての写真という枠の外にいる様な不思議な存在でした。「鍵盤をただひたすら叩き続ける。」「世界とは一緒に歌う相手」「物語は必要なの?」といった、私にとっては迷言(名言)の様な事を本気で言ってくるので「この人はやっぱりパネー」という印象を受けました。しかしながら、「ルイス・ボルツの写真でGOサインが出た。」という言葉には何故だか親近感が湧いてしまって、「ああ、やはり写真家である」という何だか解らない感慨深さがありました。
以前から写真は見て知っていたのですが、こうやって作者を前に会話を続ける事で作品への理解が深まるのだと思いました。が、未だに理解には至っていないのでしょうね。結局私の中では謎の人物でした。
金子さんは、まさかの呪術萌え発言に驚かされました。この人こそ即物主義的な人だろうなと思っていたのですが、そこにはある種の地場的なものがあってなんて、電波な感じな事を言うので何だか親近感が生まれてしまいましたし、その場所で太古の昔も同じ事が行なわれていたのかもしれないという発言には納得しました。けれど、まあ、それは普段言わない部分にせよ提示しないにせよ、あまり言うべき事ではなかったのかとも思えました。
今回の展示で初対面という事も含め、写真と文章の関係に関しては私も悩んでいるので、今後どのような展示をしていくのか気になる存在になりました。
横澤さんは、本当は私達(DIVISION-1)と同じフロアでやるべきだったのではないのか?という思いすら抱かせる内容でした。自分と関わりのない事にどうして興味がわくのだ?といったまっすぐな言葉が私の中には強く残っています。
父の病や震災が影響しない訳がないだろうということ、ひたすら同じ場所を歩いてしまう事、それらは日本の写真史を無意識になぞっている様な感覚すら覚えるものでした。
以前から知っていながらも、そういった思いから起こる撮影だという事を知れた事が新鮮でした。
そして、この水掛け論になりがちなギャラリートークを正に水際でうまく運んでいたのはさすがなと、若輩者ながら感心してしまいました。深川さんありがとう御座いました。
山下隆博